書きにくいこと

書きたい欲があるうちに、書きにくいけど、これ以上直前になってしまうと書けなくなってしまう話を書こう。固有名詞を極力出さずに。

ちょっと前のコメント欄にて流れに乗じてつい吐いてしまったけど、私、彼には今からでも来日をキャンセルして欲しいと思ってるのね。すごく変な話だけど。それは最初からずっとそう思ってる。

どう考えても、日本で8割の客を満足させる歌手ではない。そもそも彼は声を聴く歌手ではなくて意味を聴く歌手で、日本の客が求めているものを提供しないことは、既に分かっている。もちろん、私とか、文芸志向のごく少数の人とかは、非常に感じ入るわけだけど、意味を聴く習慣がない殆どの人には、只のイマイチな時間がずっと続くことになるわけである。

彼は持てるパワーを意味を込めることに使ってしまうから(そこに乗れるとそれはすごい快感なのだけれど)、スピントな高音とか、咆哮するオケを超えて届く声量とか、そういうものとは無縁だ。空間を満たす声はときどき出すけど、表現の中で一瞬使うから、誰にでも分かりやすい長く引き伸ばした大声量の瞬間はない。日本の観客が求めているものを提供する瞬間はないだろう。

それに、きっとこの要素が一番大きいのだろうけど、声質が誰とも似ていなくて、音色が全然違っていて、録音からは全く想像出来ない方向に、音色が軽くて重くて軽いのだ。いや、はじめて聴く人には、軽いとしか感じないだろう。モダン楽器の中に古楽器を混ぜるようなものだと書いたけど、そのくらい音色の質が違っていて、一緒になると頼りなく聴こえるだろう。

実はコペンハーゲンの歌手はみな古楽器のようなものだ。だから私はDKTの公演に有名歌手が入る公演は決して薦めないのだけど、つまり、彼らだけでやっているとそれで完結しているその世界観は素晴らしいのだが、そこに現代の大声大会の芸風が入って来ると、薄味で素材の味を活かした繊細な日本料理のうえにグレーヴィソース(肉汁)をかけるようなもので*1、そうするとグレーヴィソースの味が勝ってしまって、舌がそれに慣れて、薄味の素材がもの足りなくてイマイチなだけになってしまうのだ。

しかし繊細な日本料理に慣れた舌に、ファーストフードのように分かりやすい濃い(しかし大味な)料理は、正直、耳を塞ぎたくなることもあるのは事実だ。そういうのは、すぐに「もっと濃く、もっと極端に、もっと分かりやすく」という方向に流れてしまい、調和を壊してしまう。

しかし、今日はじめてオペラを聴く人(又は年に数回しか聴かない状態をずっと継続している人)にも分かるのはそっちである。自分もかつてはそうだったのでよく分かる。それは必然であり、どうしようもなく、自然なことであり、ゆえに苦しいのである。

私はDKTの世界標準化は歓迎しないし、それどころか、アンサンブルに所属する歌手の世界進出すらあまり歓迎していない。それをすると、どうしても影響を受けて帰って来るので(それで頑固に変わらないのは彼くらいだ)。私はDKTの自前アンサンブル方式を支持しているし、現代のオペラで標準的なやり方となっている、限られたスター歌手が世界中で歌いまくって世界中どこの劇場も同じようになってしまうという流れ自体を歓迎していない。

ビジネスということではどうだろう。やはり多くの人に支持されるものがよいということになるだろうし、自然に任せたらそういうものが圧巻するだろう。ここで大阪の文楽問題をむし返してみたくなったが、今日は止めておこう。


話は戻って彼である。しかし、私が恐れているのは、全然別のことなのだ。彼はプロだし、ずっとそういう環境の中で自分のやり方を貫いて来たし、単に観客席に座っているだけの私なんかが心配するのは失礼なことである*2。私が心配しているのは私のことである。

私は、全てが終わって、人々が、やっぱり声しか聞いていない、表現というのは、全然聞けていないのだと判明する瞬間が怖いのだ。もちろん、ものすごく極端に、私なんかが「うへえ」と思ってしまうくらいに分かりやすく表現されれば分かる。それは既に分かっている。だけど・・・

要するに、私は、私が人々と世界を共有していないことが判明する瞬間に居合わせるのが怖いのだ。聴ける音色や音の解像度自体がそもそも全然違うらしいということも怖い。普段見聞きしているものがどこまで共有出来ているのか分からなくなって、拠って立つものが無くなってしまいそうで怖いのだ。他人を、そのように思うこと自体が辛いことだし。


と書きながら、同時に、ここで書いたことが影響して、素直な感想が書けなくなる「王様は裸だ」と言えなかった童話のような現象が起きてしまうことも恐れている。それは全く望んでいない。絶対に望んでいない。

というわけで、なんだかジレンマだらけの予感の来年である。行かなきゃいいんだけど、行かないという選択肢はないんだろうし。そもそも「日本に来てね」と言ってしまったのは私なのだから。

*1:たこ焼きやお好み焼きのソースに喩えようかと思ったが、あんまりにもあんまりなので止めた。

*2:きっかけを作ってしまったから、少しは心配する権利があると思ったりもするが。