DKTタンホイザー(2) あなたって、私にひどいことしたわ

最近のやり取りから、なんとなく思い出して書きたくなったものの、書き出すのに何故か時間がかかっておりました、DKTタンホイザーです。

DKTタンホイザーについては以前に書きかけたことがありますが、これは「ヴィーヌス=芸術・創作活動」「エリーザベト=愛情・社会生活」と読み替えた演出です。ここでは原作で描かれる「愛欲・肉体上の愛=奔放な愛」と「貞節・精神上の愛=抑制された愛」が、それぞれ、「創作活動=奔放」と「社会生活=抑制」と置き換えられるわけですが、性や貞節に対するタブーが薄くなった現代社会において、かつてのそれに相当するものと考えると、とても説得力がありました。ホルテン演出のdeep thoughtな側面がよく分かる*1テーマの扱い方です。

この読み替えは、芸術や創作の反社会性、必然的に反社会的にならざるを得ないことを身にしみて知っている人にとっては、とてもとても身につまされる演出ではないかと思います。そんなこと考えたことがないとか、お上品な芸術を信じている人にとっては、そういう演出なのねーくらいで、ピンと来ないかもしれません。


というわけで、ヴィヌス様はタンホイザーと同じ上着を着た男装姿で登場し、要所々々で彼に創作の啓示を与えるわけです。1幕ではエリザーベトと平和な家庭を築きながら創作活動に勤しむという幻覚世界に囚われていたタンホイザーが描かれます。ところが創作活動の必然性から世界はどんどん反社会的になり、脱秩序と倒錯が世界を埋め尽くし、ついにエリザーベトが象徴する愛情世界もそちら側に負けて、錯乱と尽きぬ騒動は頂点を極めますが、それに疲れた彼はついに「もうたくさんだ!」と叫ぶわけです。と来ればお分かりのように序曲はパリ版です*2。ヴィヌス様は人々に喝采を浴びる日々を思い出させて彼を引きとめようとしますが、タンホイザーはそれを振り切ってついに現実社会に復帰します。が、社会の義務をかなぐり捨てて奔放な生活を送っていた彼を社会は許さないのでした。


さて、前置きはこのくらい。今回は2幕前半の話。またもやワーグナーは私の代弁をしてるんじゃなかろうかと思ったのが、エリザーベトとタンホイザーの再開の場面です。ものの本を読むと、このシーンはワーグナーにしては旧態依然とした男女の再会シーンでどうでもいいようなことが書いてあるのですが、私はここでまたもや「私の人生で言いたかったこと」を発見してしまったのでした。

このシーンを見たとき、私は全く混乱しました。私がアナセンに言いたかったことを、舞台の上で、エリザーベトがタンホイザーに扮したアナセンに向かって言っているのです。でもこれは舞台で、あれはアナセンだけどアナセンじゃなくてタンホイザーで。全く混乱したのです。

エリザーベトはこう言うのです。(訳は名作オペラブックスのタンホイザーの巻から)

歌手たちのたくみな歌を、私はきくのが好きでした。
彼らの歌や賛美は、優美な芸術と思われました。


しかしあなたの歌は私の胸に、
なんという不思議な生命を呼び起こしたことでしょう!
ある時は痛みのごとく体を震わし、
あるときは激しい歓楽が私におそいかかる。
感じたことのない情感と、知ることのなかった欲求!
名づけることのできぬ歓喜の前に、
他の私の好きなものはすべて消えました!


そしてあなたが私達の所から行ってしまったとき、
私の平和と快楽は失われました。
歌手たちの歌う歌は生気なく思われ、
その意味は曇っているように思われました。
夢の中で私は鈍い苦痛を感じ、
目覚めれば悲しい妄想があるばかり。
喜びは私の胸より奪われたのです。


ハインリヒ!あなたは私にひどいことをなさったのね!

それを言いたいのは私だー!!!

私はかつて、美しい歌や声や節回しを愛していたと思うのだが、今はなんとも味気なく感じるのだ。誰もが喜ぶパフォーマンスの場に居合わせても、物足りないのだ。満員喝采の中で一人不満で、どうしようもなく孤独なのだ。

だから、オーデンセのカフェで本人に言ってきたのだ。「あなた私にひどいことをしたわ」 アナセンはニコっとして、有難うと言った。

またもや「私の人生で言いたかったこと」を発見してしまう続きは明日。

*1:どの演出もdeep thoughtなんだけど、今回はそれが分かりやすく提示されている。

*2:序曲だけがパリ版て意味じゃありません、念のため。