DKTタンホイザー(3) ヘルマンは有能な領主で、タンホイザーはダメダメな奴である(今更だけど)

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さて2幕の3場である。と、その前に昨日の2場のラストである。ここではヴォルフラムの台詞があるのだがDKTタンホイザーからはカットである。お怒りになる人もいるかもしれないが、なんせあるロール用のパートを別のロールに歌わせたりすることもある、それがホルテン演出である。今回なんか可愛いものである。

というわけでタンホイザーは去って、領主が入ってくる。ステファン・ミリンはリングのファーゾルトに続いて嵌り役だと思う。これまでに聴いたロールで言うと、この人はファーゾルト、ヘルマン、フンディング、グルネマンツ、マルケの順で嵌り役だと思う。良かったロールが録音ばかりで実演で当たっていないのが残念である。もちろん歌唱の水準は高いから相対的に嵌り役でなくても、他の歌手で聴くよりも良いのだが、このヘルマンでは寛容さに彼の持ち味であるユーモラスさが心地よくマッチしていて、とても素敵な領主様である。外見は例のごとくじゃがいもハゲであるが、DKTらしい小芝居がとてもキュートな領主様に仕上がっている。

ところでヘルマンてのは、ワーグナーキャラの中では珍しいことに文句無く「常識的な」いい男だと思う*1。彼は姪のエリザーベトが心を塞いでいたことに心を配り、タンホイザーの帰還で高揚している彼女に多くは聞かず、その心を読んでお披露目のパーティを用意する。歌合戦がパーティのメインであり、領主の提示したテーマは「愛の本質」。勝者は彼女に選ばせ、褒美は望むままに取らせると言う。とくれば、タンホイザーは「愛の本質」を見事に歌って彼女の手から賞を受け、褒美として彼女との結婚を望まなければならない。素晴らしい筋書きである。


もちろんそれをブチ壊してしまうからタンホイザーなのだが。ここまでのお膳立てを台無しにしてしまうとは、なんてダメダメな奴だろう、タンホイザーって奴は。しかし彼はここで空気読まない、自分に忠実で常に全開な人間だったからこそ、ヴィーヌスに愛され、エリザーベトに愛され、私もまた愛さずにいられないのである。もし彼がこの場や関係者の思惑を配慮して、自分の言いたいことを引っ込めるような人間であったら、彼の歌は曇り、ヴィーヌスもエリザーベトも見向きもしないだろう。反社会的であることが、タンホイザータンホイザーたらしめ、愛される理由そのものなのである。

この辺は一緒に、ワーグナータンホイザーの初演について書き残した文章の抜粋を読んで頂きたいところである。

http://d.hatena.ne.jp/starboard/20111221
名作オペラブックスのタンホイザーの巻から

恐るべきことに、私はこのDKTの公演を観て上のように感じた後で、この文章を読んで、この公演が作者の意図を極めて正確に表現していることに驚いたのである。この演出は、オペラの筋を大幅に変えている。特に、これから紹介する3幕でそれは顕著である。にも関わらず、作者の意図を極めて正確に表現し、時代を超えて現代人の感性に訴える形で再構成していることがすごいと思う*2。私がホルテン演出を評価するのはそういう観点からである。

さて、ブチ壊したタンホイザーにさっさと見切りを付けつつも、エリザーベトや本人に救いを与えつつ、同席する人々の納得する解決法を提示するヘルマンは、やはり実に有能な領主である。DKTの演出ではこの一連が説得力を持って視覚化されている。一見の価値有である。

今日は2幕を全部書きたかったのだが、ここまで。続く。

*1:私はマルケは甘過ぎて、実務的に有能ではないと思う。

*2:各種の評を見るに、見掛けのストーリーの差異に捉われて、そのように感じた人ばかりではないようだが。