DKTタンホイザー(4) 私、あなたと同じ人間よ。女神様のように崇められたいわけじゃないわ。

本日のタイトルは実に エロゲ オタクくさい。クラシックの話題を書いているのに、なんでこんなものが出てきてしまうのか。ワーグナーがホントにそういうことを描いてるからである。

というわけで本日は続きものである。 (1) (2) (3)


少し戻って、貴族達の入場。ビジュアルはとても面白い。リアルだけどシニカルでなくて可愛らしい、いかにもDKTらしい小芝居があちこちで展開する。これまでにも再三描いてきたけど、DKTの合唱は一人一人が自律的に動けて、それこそ演技が売りになるようなソリスト並みに動けて、しかもそこで前提になっている人間観が卑近だけどポジティブで可愛らしくてリアリティがあるので、モブじゃなくて一人一人が記憶に残るところに特徴がある。これまでDKTの映像リリースではDKTのこの部分の特徴が分かる作品って無かったけど、やっとリリースされたと思う。こういったシーンでの合唱の動きは、DKTのオペラを観る楽しみのひとつである。

ここの合唱は演技だけでなくて合唱の実力的にももちろんすごい上手いんだけど、単に美しいだけじゃなくて、合唱がソリストのような表情を持つのがすごいと思ってて、さすが国民レベルで合唱文化が厚いデンマークと毎度思うんだけど、今回は合唱のバランスが変である。私に言わせると合唱指揮の領分であるところ由来の変さなんだけど、でも、初回鑑賞時に変だなあと思って、何度か聴くうちに色んな箇所で「ああ、なるほどなあ」と思わされたので、録音に向かないから変な印象になってしまったけど、ライブで聴いてたら感心するような野心的な演奏だったのかなあと今は思っている。


ここからの展開は前回書いた通りヘルマンの有能さとタンホイザーのダメダメさが目立つ展開なのだが、まあ順に行きましょう。まずヴォルフラムのスタートバッターの歌。なんだかご立派な修辞句がダラダラと続くけどさっぱり頭に入って来ない無味乾燥な時間。これは成功。その通り。

いつもはこのブログでは長文書きつつも詳細なネタばらしはしないんだけど、今回は思うところあって、というか各所の評を見るに、演出が相当読める人でも分からない点が多々あったらしいので、分からずに観るくらいならネタばれしてても分かって観る方が面白いだろうと思うので、ここからネタばらしアワー開始です。

2幕なのに、ここでヴィヌス様の登場である。ヴォルフラムの歌の間、さも面白くなさそうにポケットに両手を突っ込んでブラブラしながら現れ、タンホイザーの真後ろに陣取り、彼の頭を小突いたりする。なんだか頭痛がするタンホイザー*1。ヴォルフラムの歌が終わって皆が賞賛するのを目にすると「信じられない!」と言わんばかりに立ち上がる。その気持ちは実によく分かる。私もしばしば体験する。このブログに度々出てくるシチュエーションのことである。

今日のために用意した詩を書き付けた紙を、タンホイザーはビリっと破ってしまう。「手の届かない神様なら崇めてりゃいいさ。でも柔らかくて僕達と同じように変わるもの、そんなものに触れないなんて!」というわけで本日のタイトルである。

何故あんなことを言ったタンホイザーがエリザーベトに支持されるのだろう。彼女は、たぶん女性への美辞麗句やプラトニックな忠誠の言葉に疑問を抱いている。そんなこと言っててやることやるから子孫だって生まれるわけで白々しい、そんな気持ちもあるかもしれない*2。公式の場でこんなこと言ってて陰で不倫したりしてるのを見てるのかもしれない。一見尊重されているようで、でも実態は、半人前扱いされて、お人形さんのようにそこにいればいいと言われているのかもしれない。形式上は敬われているから言い返すことも出来やしないけど、なんだかお尻がムズムズする―――のかもしれない。あと少し時代が下がれば、何不自由なく食わせてやってんのに何が不満なんだと言われて家を出ていったノラになる素質がエリザーベトにはある。困ったな、今日もフェミニズムだ。ホルテンだからかな。ところでこれ書くのに調べて知ったが、「人形の家」はDKTが初演だったんですね。何回やってもここに辿りつくのはもう仕方ないかもしれない。


ビーテロフが出てきて、会場には野次が飛び始める。「そうだそうだ!」「ブラヴォ!(←短く)」私はこの野次が妙にハマってしまって、もう野次無しの録音を聴くと物足りなくて物足りなくて、つい自分で野次を入れてしまうほどである。

ところでここで、本来の次の出番だったヴァルターが譜面台を直したりしながら用意してて、ビーテロフに押し留められたりする小芝居が面白い。ドレスデン版にはあったヴァルターの台詞がパリ版でカットされたことの視覚化か。DKTはこういうセンスが面白いんだよな。ビーテロフがやっと終わったと思ったらタンホイザーに割って入られるに至って「やってらんないぜっ」って詩の紙を丸めてヤツあたりしてるし。

ここからは元祖・騒々しい男アナセンの本領発揮である。なんだって、こんなに無駄に騒々しいのか。まさに無駄にトラブルメイカー。このシーンにおいて、それは正しい。会場をくるくると回りながら、ジグザグに横断して好き勝手叫んで、ついにヴィーヌス賛歌を歌い出す。ヴィーヌスベルクの名前が出ると聴衆がズッコけてしまう。

その後は王道の展開ですね。エリザーベトの訴えも重唱も聴き応えあり。ここの重唱はアナセンすごいと思う。表情と勢いがすごい。ヘルマンの大岡裁きとそこに至る聴衆達の反応もすごい説得力がある。

このまま王道で終わるかと見せかけて、やっぱりそれでは終わらなくて、ヴィヌス様の啓示が降りてしまったタンホイザーですが、それは3幕で明らかにされることでしょう。というわけで続く。

*1:この演出のヴィヌス様は彼の半身なので、この歌の間の彼の頭の中身が視覚化されたと思ってもいい。

*2:これはパルジファルの聖杯の騎士に特に思う。