最高裁裁判官の国民審査、どうする?
衆議院議員選挙と同時に、最高裁裁判官の国民審査があります。国民投票によって裁判官を罷免出来るという国民の司法参加を保障する制度ですが、投票者の「過半数」が×印をつけないと罷免が成立しないために、この制度によって罷免が成立したことはなく、実質上形骸化してしまっています。
各世帯に配布される公報に、参考情報として、対象となる裁判官の経歴、任期中の主な判決、抱負が書かれていますが、最も参考になるであろう主な判決の情報は、そもそも各事件と法律に関する知識がないと読めず、また年間で千のオーダーの判決に対して3〜6件で、しかも本人がピックアップして自分で書いていますから、あまり参考になりません*1。
一般人の中で考えられる範囲で最も理想的なパターンを考えても、日頃から注目している問題があって、それに関する裁判を含む社会の動向を知っていて、誰を罷免すべきかが判断出来るという状態がが、まず限界で、その人の仕事の全体を分かって判断出来る人はまず考えられないでしょう。
それでも、親切にも毎年何人かの方が、国民に関心が深いであろういくつかの観点をピックアップして、対象裁判官の関係する判決を調べ、「この問題についてこう考える人はこの人に×」的なアンチョコを作って下さってます。それを読んで考えたい人は「最高裁裁判官国民審査」で検索してみてください。
そういうサイトを調べる時間がない人も、読んでみてやっぱり分からんという人も、ここに挙げられた少数の視点だけで決めていいのかという慎重な人もいることでしょう。では国民審査の投票用紙はどうしたらいいのでしょうか。
そういう人のために、対象裁判官全てに×を付けるという運動が存在します。最近この運動が誤解を受けているのを目撃したのが、今回この文章を書き始めたきっかけなのですが、今検索したら、あまりにも古い話で検索しても簡単には出てこなかったので、書き残しておこうと思います。
全員に×を付けるという趣旨は、×の数字を底上げして、
- 現時点では罷免に全く届かないが、全体の数字を底上げすることで、罷免が可能なレベルに少しでも近付ける。個別に判断している人達の手助けをする。
- 裁判官に、各自の数字が上がることでプレッシャーを与え、国民の監視の目を意識させ、国民のことを考えた仕事をするように動機付ける。
この方法は、本当にこの考え方で×を付ける人が過半数に近づいた暁には通用しない運動ですが*2、現状のレベルでは意味を持つと思います。
個別の裁判官に関して判断する時間と自信のない方、参考になさって下さい。
今回の調べ物をしていたところ、1972年頃には、当時の野党が「国民審査で×を付けようキャンペーン」なんてものを展開していたことを知りました。http://miso.txt-nifty.com/shinsa/numbers.html