京響定期2013年2月

気がつけば去年8月からレポが滞っていた京響の定期です。この間、行くつもりでいて行けなかったのが1回、別の予定を優先して行かなかったのが1回の2回以外は行っているのですが、まさに簡単なメモをとる隙もないほど忙しかったり、書く気にならない回だったりで、半年も休んでしまいました。今思い返すと、書く気にならない回の方が、書いて消化しなかった分、心の底に澱のようにもやっと溜まっていたりして、後味が良かった回ほど綺麗さっぱり忘れてしまっていたりして、やっぱどんなに忙しくても、なんかは残しておくべきだったなあと思います。


本日はスマッシュヒットでした。エイドリアン・リーパーという人は立体感がよく私好みの音作りをする人でした。各セクションから満遍なく良い響きを引き出していたし。なんか今日は客層が若干若い?向い岸(R)は空いているのになんでこっち側(L)ばかり混んでいるのだろう、しかも妙に若い女*1が身を乗り出しているなあと思ったら、本日のソリストはポピュラーの人だったんですね。他分野出身だったり名前が売れていたりするとマイナス期待が働く私ですが*2、ポピュラーということでレンジが狭いのは想定の範囲内だったものの、純クラシック出身の人のようにタッチが強くないので、ピアノの余計なノイズを聴き過ぎて不快になる瞬間が少ないという、意外なプラス効果がありました。他の人もあんなにバンバン叩かないで欲しいわー。それで喜ぶ客が悪いんだけどさ。

後半のウォルトン。トータルとしてはかなり良かったんだけど、2楽章はちょっとよく分かんなかった。悪くはないけど、いや誰がやってもこうならざるを得なくて、むしろ他の人の仕事より良いくらいかもしれないんだけど、別にこの曲の演奏を色々知ってるわけじゃなくて、でもこれだけ聴いてもそういう感触があったくらいなんだけど、でもなんか腑に落ちないものが残るというか。腑に落ちないといえば、この楽章だけじゃなくて、全体として、イギリスの作曲家の作品て、私にとってそういう要素がいつも残る。エルガーとかも聴いた後こういう感じがするなあ。かの地ではすごく人気らしいので、なにかあると思うんだけど、それが自分にとって腑に落ちる感じがしなくて、しかもその腑に落ちない部分に共通のなにかがあるの。なんだろうこれ。本日自覚したのでメモ。でも、だから悪かったってことじゃなくて、そこまで迫らせてくれたので、とてもいい演奏だったと思う。

2013年2月16日(土)2:30pm 京都コンサートホール・大ホール
京都市交響楽団第565回定期演奏会
エイドリアン・リーパー(指揮)
小曽根 真(ピアノ)
ストラヴィンスキー:管楽器のための交響曲1920年版)
ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第1番ハ短調op.35
(トランペット独奏:ハラルド・ナエス京響首席トランペット奏者)
ウォルトン交響曲第1番変ロ短調

*1:クラシックのコンサートにしては。

*2:名前が売れている=広告料(人寄せパンダ)分の割引を見込んでおかなきゃ、無名=実力期待というロジックになっているらしい。