ドンカルロ予習記録/音楽

今回予習に用意したのは、この2枚です。

クリストフとギャウロフの名前見て選んだだけなんですが。で、シカゴリリックの方ばかり聴いてました。当日聴くものとかけ離れてる方がいいかなと思って。そういうわけでスカラ座の方はずっと聴いてなかったんですが、いくらなんでも年代が離れてるし、一回くらいいいだろうと思って、さっき聴いてみました。

あの。音楽がどうこうより観客がうるさいんですが、こういうもんなんですか。録音年代が古いせい?こんなもん?音楽が途中なのに拍手始まってるし、拍手がまだまだ目立つうちに演奏はじまってるし、ちょっと静かになるとざわざわが目立つし。これがスカラ座?実はいつも聴いてるようなディスクも元はこんなもんだけど加工してるの?うむむむむ。音楽と客席からの音が同じくらいのボリュームで入ってるし拍手時間長いし、生中継をそのままディスクにしました感が。ヘッドホンで聴いてるのではっきり分からんけど*1、録り方が違うのかな。


例のごとく音楽について書いてません。実はあんま気に入ってません。この音楽(譜面)ならもっといい演奏あると思うんだよなあ。

また的外れなこと言ってるかな。ものの値打ちって、実は同ジャンルのものを複数知らないと分かんないよね。最初ピンと来なかったものが、色々知ると実はすごいことに気付いたりとか。最初のピンと来てない段階なんかなあ。

実は、先日のカラヤンと比較してしまってるとか?音楽だけじゃなく映像と合わせて作られる迫力と比較してしまってる?


いまも流れてます。スカラ座の雑音が気に入らなかったのでシカゴに戻った。それで考えたんだけど。

最初の序曲?序曲ちゃう。カルロ5世のテーマ?これ何を意味してるんだろう。素人評論家が「これからはじまる悲劇を予兆させるような重々しい旋律が・・・・」と書き出しそうな雰囲気。カルロ5世ってこの作品にとって何なんだ?

<合唱>
偉大な皇帝カルロはもはや物言わぬ塵に等しい。今や天上の創造主の足元でその驕れる魂が震えおののいている。

<修道士>
カルロは、この地上を治めることを望んだ、天の星達に正しい道を示される方の事も忘れて。彼の傲慢さは計り知れず、その過ちは余りにも深かった。
崇高なる者は、ただ神のみ。神が望めば、天も地も揺れ動く。慈悲に満ちた神よ、罪深き者達に慈悲深き神よ、傷ついた心に天上より下る安らぎと許しを与え給え。
アウラマーニャの対訳双書より抜粋/引用者による改行略あり)

ねえ。ラストと合わせて考えると、不思議じゃないですか。カルロ5世って、この作品にとって何なんでしょうね?

うーむ。あとは・・・・こっちのカルロはちょっと骨太だな。なよなよ感が薄れた。たぶんそれってカルロ役としては嬉しくないんだろうけど。あと2幕2場(フランドルの民の処刑の場面)はすごく好きだ。ドラマも音楽も好きだ。しかし処刑の場面が好きだとか書くと、ストーリー知らない人に誤解されそうだな。1幕2場の王とロドリーゴのやり取りとかヴェールの歌も好き。随所に出てくる色んな調子のロゴリーゴのテーマはもちろん好きだ。

逆に苦手なのは、カルロがなよなよしてる場面、女の人が激昂してる場面(一幕のエリザベッタ除く。あそこは好き)だなあ。なんかこういうシーンて「あーあ。見てらんないぜ。」って距離感になっちゃうんだよね。高い声で激昂だとこれも気になるし。


そうそう。この対訳双書で、これまで見た訳詩でしっくり来なかったところがうまく処理されていて感心したので紹介しておきます。結構大胆な意訳になっちゃってるんですかね。でもここ、こうですよね。「もし王冠が・・・・くれるなら!」系統は日本語としてはなんか違うよな。

Se il serto regal a me desse il poter
Di leggere nei cor.
Che Dio puo sol veder!...

王冠がわしに権力を与えたとしても
人の心を読み取ることが出来るのは
ただ神のみなのだ!...


じゃあ鑑賞しながらカルロ5世について考えてみることにします。ドン・カルロは予習もいい加減だな。まあ、フィクションらしいフィクションだから、こんなもんでいいんじゃない。というかボリスの背景が面白過ぎたので、こっちが普通だと思います。ランケの本も、読んでみたらそれなりに面白かったので、暇を見てまとめてみます。前みたいに、何が何でも先にアウトプットしとかなきゃって必死な感覚はないです。

*1:実演前の迫力オーディオ断ちしてるので。