音の成分に注目するようになった話

つい最近倍音という概念を知りまして、というのを昨日書いたんですけど、それ以来聴いてる音の成分を意識するようになりました。で、いろいろ調べていくうちに、こういったことを知る前にどう感じていたかということを記録に残しておきたくなりました。


これを知る前は、音ってのは、やっぱり成分があるんだけど、なんとなく聴こえてる音を中心に上下に分布してるようなイメージがあったんですけど、そしてその成分のそれぞれがみんな揺らいで絡み合いながら流れてるってのかな、そういうイメージだったんです。まあどうでもいい趣味の表現をするとですね、ワグナーのワグナーっぽいオケあるじゃないですか。ああいう風に各パートが揺らぎながら絡み合いながら流れていくんです。私のイメージの中では。それをミクロにした奴が、あるひとつの楽器の音なり1人分の声なりの成分だったんです。つまりワーグナーの音楽はフラクタル構造を思い起こさせるから惹かれるのだ、といったらトンデモ過ぎですか。

あと管系統は成分が比較的少なくて、人の声や弦なんかは比較的成分が多いイメージもありました。そんで管同士、弦同士の中で比べると、サックスとかチェロの方が成分が多いイメージも。

関係あるのか無いのか分からないけど、ピアノの音ってのは私には打楽器に聴こえてます。音の系統の問題として。音の減衰の仕方が打楽器っぽいんじゃなかろうかと思ってるんですが、感じていることと、説明出来そうな現象との間に飛躍があって、本当のところはよく分かりません。ある音のどの面に着目するかによって、まるで違う結果になるでしょうし。

このblogは私の成長記録だから、こんなどうでもいい話にスペースを割いたんですけど、まあ上のイメージは正しくなくて、音が音程を持って聴こえるとはどういうことかという理解がなくて、ただ感じるだけの段階のときはこうだったというお話でした。