天地創造/ショルティ+シカゴ響

久々に新しいCDを卸して聴いてみました。というわけで今日の一枚。

Haydn: Die Schoepfung (The Creation)
オーケストラ: Chicago Symphony Orchestra
指揮: Georg Solti, Margaret Hillis
作曲: Franz Joseph Haydn
CD (1995/2/14)
レーベル: Decca
ソリスト:
Ruth Ziesak (Eva & Gabriel)
Herbert Lippert (Uriel)
Rene Pape (Raphael)
Anton Scharinger (Adam)

やべー。これ最初っから高揚しっ放しです。こればっかり書いてるからstarboardはいつもそうじゃないかと思われるかもしれませんが、こんな私でも初めて聴いた一発目からいきなりノれる演奏は少ないんですよ。大抵後半からとか、聴き終わってみたら高揚していたことに気が付いたとか、聴き込んでいって聴きどころが分かるようになって自分を演奏に合わせられるようになって入れるようになるというパターンが殆どで、はじめて聴くディスクで演奏がはじまっていきなりノれることは少ないのです。それに明らかに声楽の助けを借りずにオケだけで入り込めてるし。とにかく音作りが好みだ。でもその音がどういう風に出来てるからよいのか解題出来ないのが素人の悲しさなのです。とりあえず何を聴いてどう感じたか記録しておいていつか分かるようになる日を待とう。

でも書けないなりに、いま出来る範囲で、よいと思うポイントを言語化してみよう。何がいいかっていうと、音の動き方なんですよね。バランスというか。私はあるパートがいい音を出してる云々ってあんまピンと来なくて、それよりバランスが大切なんです。それも、バランスが嫌じゃないこと、みたいな減点主義の観点です。バランスとかいうとなんか保守主義っぽいけど、自分の思う嫌に入らなければ、結構アバンギャルドなのや驚かされる演奏も好きです。指揮者に左右されるタイプの聴き手なのかな。

私は他人があんまりいい採点をしてない演奏にもよくハマるんだけど、これはもう、演奏というよりは、音作りが感覚に合うか合わないかでかなりの部分が決まってしまうからじゃないかと思ってます。だから奏者の精神性みたいな話になるのは実はピンと来てない。最近自分の音楽の好みに関して、こんな風に考えてます。極端に右脳的な聴き方というか。それじゃなんでこんなバリバリ左脳人間っぽいレビュー書いてるんだというと、特にオペラレビューの場合は視覚と言語がすごく結びついてるんですよ。逆に言うと、聴覚と言語って結びつかないなあと。あと些細な感覚を元手にめいっぱい左脳で弄りまわすのが好き。*1


相変わらずCDのレビューを全然書いていませんが、まあこれしか書けないので致し方ありません。じゃあちょっとソリストについて書いてみよう。

パーペですが、いつもよりかなり慎重に歌ってるというか、いろんなところに気が付くというか気付かされるというか。例を出すとですね、高いところは調子良さそうで、低音になると苦しくなる。Leise rauschend gleitet fort@Rollend in sch umenden Wellenのくだりなんか、めっちゃ勢い良く始まってどんどん苦しくなって行くんだもん。声そのものは今よりも低音向きに聴こえるのにね。それで、ちょっと確認してみたくなって、いつもお世話になってるIMSLPにてスコアをゲット。

Rollend .... は上のスコアの24ページ目から。スコアを確認しながら追いかけて行くと、低音が苦手というより高音が得意なんですね。大体Re〜Fa(D3〜F3)あたりに閾値があって、Faより上はかなり楽で伸び伸びとやってるし、Reより下はそれがない感じ。

すっごい素朴な疑問なんですが、なんでこの人バスなんでしょう?しかもなんでザラストロ歌いなんですか?ザラストロってバスの中でも低域なんですよね、たしか。ショル爺は何を考えてたんでしょう?やっぱ声質がバスなんかな。先に、ザラストロにこういう声が欲しいというのがあって、そこにうまく当て嵌まっていたのかしらん。

ということをつらつら考えながらWikipedia:音名・階名表記に落書きしていたら、意外な発見があって残しておきたくなったので画像にしてみました。Wikipedia:クリエイティブ・コモンズにより改変禁止が無くて継承指定があったので、私も継承して、表示-継承指定をしておきます*2

意外と声域って被ってるというか、めちゃくちゃ違うわけでもないんですね。だとすると、あなたはバスとかバリトンとかテノールとか決めるのは声質なのかしらん。


ソプラノのルート・ツィーザクは、教祖様の魔笛のパミーナの人だなあ。聴いてて全然嫌なところが入らないのがすごいなあ*3。透明感が素晴らしい。それに、このときは、透明なだけじゃなくて、コケティッシュな母親が子供に語りかけているようなニュアンスがある。うわ、なんか書いてて自分でもめっちゃ分裂したこと書いてると思うんだけど、でもそう感じたんだもん。

男声2人は私にはやっぱ嫌なところがないという表現の仕方しか出来ないな。素直だと思います。


もひとつRollen .... で思うところがあって、結構癖のある歌い方をしてるっていうか、ショル爺がさせてると思うんだけど*4、durch laeuftの装飾音を、スコアにないポーズを入れさせてるんですよ。なんでしょう、これ。勢いに任せたい人だと思うので、それが出来ないところが、なにかちょっと。勢いに任せて流れがちになってたのかな。

パーペの調子はシュライアー版の方が良さそうですが、てかあの演奏はみんなノリノリなのが楽しいのですが、でもオケの魅力が抗いがたいから、私はこっちかな。ところですごく気になったのが、関連音源の録音時期。先に聴いたシュライアー版の天地創造とショル爺+シカゴ響という同じ組合せでソリストも被ってる四季との関係です。というわけで調べてみました。

1992年5月 ショル爺の四季
1992年不明 シュライアーの天地創造
1993年10-11月 ショル爺の天地創造

3つとも同時期で、しかもこのディスクが後でしたね。そうなのかあ。もうひとつD-Durで放送されたライブ音源が手元にありますが、こっちはパーペの声が今の声なのでずっと最近ですね。


このディスクに関しては、まだまだ聴き込んでいないので、これからさらに発見がある予感。最後に、本日出てきたディスクの一覧です。

Haydn: Die Schoepfung
(The Creation)
Solti, CSO
Haydn: Die Jahreszeiten

Solti, CSO
Haydn: Die Schoepfung
Screier,
Scottish Chamber Orchestra

*1:注:この段落の「○脳」表現はあくまで比喩であり、イメージです。

*2:普通の人は気にしなくていいです。再配布したい人だけ気にしてください。

*3:高い声域は原則苦手で、聴いてて苦しくなるので、そうならない存在が貴重なのです。最近分かってきたのは、人が高い声を出すときの肺の使い方に反応して自分も苦しくなってるらしい。

*4:根拠は、その前後のパーぺの同じ歌の録音があってそっちは素直にやってるので、この演奏のときの指示だったんだろうなーと。