マンが語るワーグナー(1)

マンがワグナーのことをなんて言ってるか知りたくて、ついつい手にとってしまった本。マン好きですいません(何故謝る?)。私にとってはトーマス・マンは思春期の甘酸っぱい記憶がいっぱい詰まった作家なんですよ。いやあ、照れるなあ(←勝手に照れとけ)。

リヒァルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大
トーマス・マン
岩波文庫

そして今日も手抜きで抜粋のみです。でも実は抜粋って怖いんですよ。私はワーグナーをこう聴いてますという告白に等しいんですから。

リヒァルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大(1933年)

  • ――愛し合う二人が飲むものは、実際は単なる水であってもよいのです。ただ、死を飲んだという二人の確信が、彼らを昼間の道徳律から心的に解放するのです。――これはまさに、大心理家の詩的発想です。まったく、ヴァーグナーにおける詩的側面は、単なるオペラの水準からは、最初から抜きん出ています――それも言葉の面でではなく心理家の面においてです。
  • それは、春のごとく萌え出て芽ぐむ少年ジークフリートの恋心を、ヴァーグナーが言葉によって、またこれの暗示的なバックとなっている音楽によって生き生きと描いているのを見るときです。これは潜在意識の世界からほのかに微光を放つ、予感に満ちたコンプレクス、母との結びつきと性的な欲求と、そして不安(中略)とのコンプレクス、つまり心理家ヴァーグナーと、もう一人の典型的な十九世紀の息子、すなわち精神分析ジークムント・フロイトとの顕著な直感的一致を示すコンプレクスであります。菩提樹の下でのジークフリートの夢想では、母への思慕がエロティックなものと溶け合っています。また、ミーメが、養い育てた子ジークフリートに恐怖を教えようとする場面で、炎に囲まれて眠るブリュンヒルデのモティーフが、オーケストラで暗く変形して奏せられ鳴り響きます。――これはまさにフロイトです。これは精神分析です。それ以外の何物でもありません。
  • ヴァーグナーは、音楽好きでない人々をも音楽に引き込むような類の音楽家です。(長い中略)これを前にした時、絶対音楽は、みずからの羨望のために青ざめるか、さもなければ感動のために紅潮するでありましょう。
  • ニーチェヴァーグナー批判を、私はいつも負の符号の付いた賛辞であり、形をかえた賛美であると感じておりました。それは愛憎が一つに合したものであり、自己呵責であったのです。
  • 彼は性格を描き出すことにかけては比類のない名手であり、彼の音楽を性格描写の手段と解するなら、いくら賛美しても足りないほどです。この技巧は絵のようにはなやかで、グロテスクですらあり、演劇には当然必要とされる距離を計算に入れています。
  • ヴァーグナー騒ぎについて「それと気づかない軽度な官能の流行病」と呼んだニーチェの言葉は、やはりあくまで正当なのでありまして、明澄さを希求するある種の人々は、ヴァーグナーロマン主義的に大衆の人気を博しているのを見て神経がいらだつ思いがするのは、ほかならぬこの「それと気づかない」という点にあります。これは「なるべくなら関与したくない」と思う理由にもなるでありましょう。
  • このような生涯を、ヴァーグナーは詩劇の中で、ヴァーヴァルト=ジークムントの口を通して次のように表現しています。「男たち、女たちへと、私は思いに駆られました。何と多くの出会い。しかし友であれ女たちであれ、私が探し求め、そして彼らを見出したところ、どこでも私は拒まれ、災いが私を襲いました。(中略)」――一語一語すべて体験から出た言葉です。まさに彼自身の生涯を指しているのでないような言葉は一語もありません。(中略)「――私はこの世間ではどうにもおさまりが悪く、ですからどうしても幾千もの間違いが起きずにはいません。(中略)私たち、つまり世間と私とは、お互いが角を突き合わせた強情者同士で、当然、二人のうち頭蓋の薄い方が頭を打ち破られることにならざるを得ないのです。(後略)」
  • 折りにふれて(中略)ヴァーグナーはこんなことを語っています。自分はヴァイマル時代に「気違いじみた陽気さ」で世間を大いに楽しませたものだが、あれはただ単に自分がもし真剣になったりすれば、心が柔弱になってほとんどがたがたに崩れてしまいそうだったからだ、というのです。

最後のくだりを読んで、私は本気で驚いてしまいました。マンが他人事のようにこれを語ったことに驚いたのです。およそ芸術家というものは(少なくともマンのような種類の芸術家であるのならば)、多かれ少なかれこのような面を持っているものだと思っていたので、マンがその素振りを見せず完全に自分の外側のこととして語ったことが驚きの理由でした。

(2)に続きます。