Meine Mutter@ジークフリート聴き比べ

昨日ついに感じていたことを言語化してしまったので開き直って、つまり私はジークフリートのマイネ・ムッターのくだりに反応するという事実を自覚することにして、これがどのくらい一般的な話なのかを確かめてみたくなったので、またもや聴き比べをしてみることにしました。対象は、手持ちのコペハンリングとDNOのアナセン・ジークフリート2枚と、Naxosライブラリで聴けるジークフリートの全曲音源制覇です。前回の経験から通して何枚も聴くのは疲れることを学習したので今回は止めて、1、2幕でマイネ・ムッターが登場する以下の2箇所を比較してみることにしました。

    • Act I Scene 1: Einst lag wimmernd ein Weib (Mime, Siegfried)
    • Act II Scene 2: Dass der mein Vater nicht ist (Siegfried)
  • ワーグナー:楽劇「ジークフリート」全曲(メルヒオール/フラグスタート/ボダンツキー)(1937)
    • http://ml.naxos.jp/album/8.110211-13
    • ラウリッツ・メルヒオール - Lauritz Melchior (テノール)
    • Karl Laufkotter (テノール)
    • ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場管弦楽団 - New York Metropolitan Opera Orchestra
    • アルトゥール・ボダンツキー - Artur Bodanzky (指揮者)
    • 相変わらずパキパキしている。少年ぽさは、無い。Act1のマイネ・ムッターは、まあ普通に元気なさそうな感じ。いや、詞の内容からいってこれが素直な表現なのかな。この時代のスタイルって、ずっとうたってて、あまり演劇的じゃないんだよね。Act2のムッターも、うーん、なんて表現したらいいんだろう。この時代ならではのゆったりテンポが落ち着きになってしまってるなあ。
      メルヒオールはなんていうんだろう、こういうの、virileってのかな。ジークムントにはいいけど、ジークフリートにはどうなんだろうと思っちゃうのは、私があまりにもコペハンリングに毒され過ぎだからだろうか。そもそもこの役を少年ぽく演るのがいいという価値観があるのかどうかも知らんし。私が勝手にそういう基準で見てるだけだ。でもさ、せめてマイネ・ムッターと言ってる間はそうあって欲しくない?
  • ワーグナー:楽劇「ジークフリート」全曲(シュトゥットガルト州立歌劇場
    • http://ml.naxos.jp/album/8.660175-78
    • Jon Frederic West (テノール)
    • Heinz Gohrig (テノール)
    • シュトゥットガルト州立歌劇場管弦楽団 - Stuttgart State Opera Orchestra
    • ローター・ツァグロツェク - Lothar Zagrosek (指揮者)
    • いきなりミーメが(ミーメにしては)美声で吃驚する。年代が書いてないけど、最近の録音なのかな、臨場感がある。でも振り過ぎのような気もする。音源の動きがダイレクト過ぎてちと目まぐるしい。
      ジークフリートはミーメとの対比のせいで余計目立つんだけど、ドライだなあ。このドライな声ってのは、アナセンもそうなんだが、ボーイッシュに聴こえるときと逆にしわがれっぽく聴こえるときと両方あるんだよなあ。Act1、Act2ともかなり表情を付けながらやっててよろしいんだけど、ここではなにかちょっと、裏目に出てしまった感があるなあ。うーん。
      いやでも、この人は表情としてはかなりいいんだと思う。一般的には。ただ私が今日問題にしてるところがあまりにも特殊なポイント過ぎるだけで。
  • コペンハーゲン・リング
    • Stig Fogh Andersen
    • Bengt-Ola Morgny
    • Royal Danish Opera Orchestra
    • Michael Schonwandt
    • いやー他のを聴いた後だと少年ぽさが際立つわ。あとミーメが安心する。これは聴き込み効果なのだろうか?映像イメージのせいもあるかもだけど、ぴょこたんぴょこたんと可愛い、でもコモノっぽい嫌らしさがあるミーメなんだよね。子供向けコンテンツの悪役みたいな。このコンビが醸し出す雰囲気はとっても冒険活劇風で、ジークフリートがノートゥングを鍛えてくれと言って森に行ってしまうところの「ジークフリートジークフリート!」の呼びかけなんて、そのままファミリー映画の予告編として使えそうである。ええと、誉め言葉に思えないかもしれないけど、誉めてます。そういうキャッチーさ、分かりやすさ、ストレートさがあるんですよ。
      そしてアナセンのジークフリートがMutterと言う度に、心臓が締め付けられるような感じがするのだ。恥かきついでにカミングアウトしとくと、もうすぐ60歳のお誕生日のアナセンが少年ぽくMutterと歌い、そこにはマンが言ったような種類のエロティシズムが漂っていて、そこに反応している自分がすごく倒錯的で、もう完全に参った!と思ってしまうのである。あー言っちゃった。これまでジークフリートに関しては全然肝心なことは書けなかったですからね。これをカミングアウトするのに比べれば、ワルキューレ一幕の話なんて全然健全ですよ。しかし私はまたこんなこと書いて、明日の朝頭を抱えてまたしばらく引き篭もりをせなならんことにならないだろうか。
      そして、ここだけじゃなくて、全編に渡って、独特のリリシズムがあるのだ。かなり独特。こうするだろうと予見するものを外すことを楽しんでいるような節がある。この人の白眉は、アリア的なところじゃなくて、この森の独り言の場面みたいなこういうところにあるんだよな。
      そこに持ってきて、感情の動きにぴったり寄り添うオケが溜まらん!これって聴き込み効果ですか?どんな音源でも(少なくともある程度以上の水準の音源なら)聴き込めばこうなるの?
      ・・・・今日もこの音源だけ書き込み過ぎた。
  • DNO(ネーデルランド・ オペラ)
    • Stig Fogh Andersen
    • Graham Clark
    • Netherlands Philharmonic Orchestra
    • Hartmut Haenchen
    • 買って積聴してあったので、殆ど初聴きの音源である。収録が2005年で、コペハンリングの約半年前、殆ど同時期である。ミーメがご立派。これ以上のミーメは考えにくいくらい、いかにもな嫌な奴で完成度が高い。アナセンは、あの安定してるんだか行き当たりばったりなんだかさっぱり分からない歌を、職人的な再現度でやってのけている。さすがジークフリート百数十回経験者(ホルテン談)というべきか。それでもコペハンより控えめ?伸びやかさが違う。やはり古巣は伸び伸びと悪ノリするのにいいのだろうか。この音源についてはそのうちちゃんとレビューしよう。

聴き比べして分かったのは、やっぱり無いものねだりなんかなー、特殊なものをスタンダード化しちゃってるのかなーということでした。そもそも、ヘルデンテノールに求めるものを根本的に間違ってるんだ私は。

最後に、ここまで書いて音源紹介無しってのも不親切だと思うので、特にコペハンのジークフリートはサンプル音源なんか流通してないので、音源を付けてみることにしました。気に入ったらDVD買ってね*1。ちなみにリコーダー吹いてるのは本人です。

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*1:とアリバイ的に書いておきます。