恥かきついでに

このタイミングでこっそり吐き出してしまおう。ええとキモい話ですよ。自覚してんなら書くなって話だが、どこにも吐き出さず心の底に置いておくとこじれて醗酵してしまうので、適当にガス抜きしないといけないのである*1。以後読む人は自己責任で。


私は、主役を張るようなテノールが苦手で、ジークフリート・ショックが来るまではあまりこのジャンル自体が聴けなかった、耳には入っていても向き合ってちゃんと聴くことは出来なかったのだが、その理由というのは、生々しいというものであった。その生々しいってのはなんなんだって言うと、まあ性的魅力の誇示とかそういう領域の話になるんだと思う。あまり深く考えたくないけど。

こういう領域で、普通の人がそんなことは考えない、あるいは考えても口に出さないポイントでこんなことを言い出す奴は、とっても面倒くさく、鬱陶しく、いちゃもん以外の何者でもないので、私としてもあまりこういうことは言いたくないのだが、嘘を付くことも出来ない、出来ないっつーか意味が無いっつーか自分に嘘を付いて違うことにしとくと自分の中でこじれて醗酵しちゃうので、この際ストレートに見つめると、まあ、そういうことなんだと思う。低音だとそういうことはないのが不思議である。

で、7つの封印の書でアナセンをはじめて聴いたときに思った感想が、「珍しく大丈夫」なテノールというものであったというのは何度か書いたと思うけど、その大丈夫の正体は「生々しくない」ということであった。彼のスタイルがそういうところのストレートさを外そう外そうとするものであるところに原因があるかもしれないし、そんなのは私の錯覚で単なる相性であった*2のかもしれない。前者であったならまだ救われる気がするが、後者であるとすると、勝手に他人にそういう観点でダメ出しをした挙句に「生々しい」とか言って避けてたわけで、自意識過剰ここに極まりというか、自分の傲慢不遜さ加減に地面に穴を掘って埋まりたくなるのは致し方ない。ああ恥ずかしい。

恥ずかしさを我慢して話を先に進めると、まあこういった理由で注目し始めた経緯があるのだが、しかし活躍ジャンルがワーグナーの主役テノールだったのである。生々しいとか雄々しいとか言ってる場合じゃないのである。流通している音楽の中でも、もっともそういう要素をかき集めたジャンルと言っても言い過ぎではないのである。どひえー。そんでもって、そういうどストレートな方向は迂回するが、そうでないところにとんでもないニュアンスを込める人だったのである。もっかいどひえー。

だからアナセンを聴いてる瞬間てのは、どうしても倒錯と切り離せないんですよ。私にとっては。倒錯の倒錯の倒錯ですよ!よりによって一番そういうニュアンスから遠い人を連れてきて、よりによって一番そういうニュアンスの強い音楽の中で位置付けて、しかも、最初の印象通りストレートな表現は巧妙に避けてくるくせに、その周辺にとんでもない罠が張ってあるんですよ!吃驚して椅子から転げ落ちそうになりますよ!お母さん助けて*3

まあ全て私の錯覚かもしれませんが。私の感じたものは本当に存在するのでしょうか。私は私の感覚を信じていいのでしょうか。こんな空回りの二重三重否定の妄想を、一体どうしたらいいんでしょう。


P.S. 「その」とか「そういう」が多過ぎて読みがたい文章ですが、避けてる言葉は「性的」ですから、この言葉を当て嵌めてもらえると大抵理解出来ると思います。

*1:Webはあなたのゴミ捨て場じゃありません!

*2:要するに、自分にとって好ましいものは生々しくないが、好ましくないものは生々しいと感じただけで、その好ましい範囲がめちゃくちゃピンポイントで狭かったので、そういうもの一般が駄目だと錯覚していた。

*3:ジークフリートのパロディです。