ストーリー性のない音楽、原始的な揺さぶり

Madokakipさんとこのblogで、ブーレーズ指揮CSOのレポートがあり、それに刺激されて、この辺で書いてた「高揚」を、もうちょっと言語化してみました。
http://d.hatena.ne.jp/starboard/20100127
http://d.hatena.ne.jp/starboard/20100124

http://blog.goo.ne.jp/madokakip/e/5ecfa49ebac4943859b16150841c6685
CHICAGO SYMPHONY ORCHESTRA (Sun, Jan 31, 2010)

普段から、こういう曲って実際に演奏会で選択の余地なく聴かされるか、
もしくはそんな演奏会の予習として聴く以外に、わざわざ、
”今日はこれをCDで聴きたい。”なんてのりで、好んで聴く人なんているんでしょうか?と疑問を呈している私ですが、
上で紹介したYou Tubeのコメント欄を見るに、いるんですね。そういう人がやっぱり。

はい。それは私です。ふと思い出して猛烈に聴きたくなったりします。

ブーレーズそのものは全然勉強不足で詳しくないんですが、先日こういうきっかけで初邂逅して以来気になる人で、なんかのきっかけでちゃんと聴いたらきっとお気に入りになるだろう予感リストに載ってます。この予感リストは、今すぐ全アルバム集めてってほどじゃないけど、名前を覚えてて、演奏会とか縁があったら行こうと思ってて*1、CDショップに行ったらチェックしてみる名前のリストです。

もうちょっと早く知っていたら、ちょうど京都に来てたんですよね、ブーレーズ。惜しかった。

ちなみに、バルトークも先日「2台のピアノと〜」が付いてない「管弦楽のための協奏曲」を聴いて、激しく高揚してました。私がこういう反応を示すということは心あたりがあり、このエントリでおっしゃりたいことは、なんとなく分かります。

私はしかし、この手の音楽は理屈抜きで好きでありまして、考えないで感じるだけというか、音が作る空間が気持ちいいんです。その気持ちよさの裏付けにはなんらかの理論があるのかもしれませんが、それは言ってみれば裏方の話であって*2、目的ではないんです。

で、Madokakipさんの今日のエントリを読んで、いろいろ子供の頃のことを思い出したりしました。

”高度な音楽”として感心してもらうことの方に関心が向いているような印象を持ちます。
心でなく、頭で書いた音楽、というか、、、。

大体子供の頃からこういうものが好きだったんですが、そういうと、まさに上のようなことをよく言われたんですよ(笑)。格好つけて言ってるんだろうとか、大人ぶって言ってるんだろうとか、本当のことを言わない子だとか。

でも私にとっては、こういう音楽の方が、普通のストーリー性のある音楽よりも、より原始的な、理屈じゃない、より低次のレベルで直接感覚に働きかける、言ってみれば民族音楽に近い存在なんですよ。大体こういうのやる音楽家民族音楽に傾倒しますし、まあそういうことなんだろうと思います。もしかしたら今は、意識に対してそういう原始的な働きかけをするものは理論的にはこういうものであるということが解明されてて、そういう意味で(医学心理学的な成果を取込んだ音楽であるという意味で)アカデミックな存在なのかもしれません。完全に推測ですが。

というかですね。私の方が、これ聴いてもそういう原始的な揺さぶりを受けないんですか?と聞きたいくらいです。

こういうのは色々なものを削ぎ落とした魅力があるといいますか、普段あんだけ自分のblogでドラマドラマ言ってますが、そういうものが全て煩わしくなる瞬間があり、そういうときに好ましい音楽です。降りしきる雨の中で、目をつぶって天を仰いでただ立っていたいみたいな瞬間てありませんか。実際やったら意外とまぶたが痛いなとか、濡れた服をどうしようとか、風邪引いたら次の日の仕事に響くなとか色々あるんですけども(笑)。

削ぎ落としてなお音楽として成立させるというところで、意識への原始的な働きかけをしないと成立しないので*3、みんな似たような印象になっちゃうというのはあるかもしれないなーと思ってます。

色々思い出させてもらったので、これ、自分とこにもメモさせてもらおうと思います。


こういう経緯でコメント欄に書いた内容をこちらにも引っ張ってきました。ちゃんと現代音楽の系譜とかを知ってる人から見たら、乱暴で稚拙な話をしてるかと思うんですが、まあ、自分の今を記録するという目的なんで勘弁してください。あ、今、タイトル考えてて、原始的な音楽と社会的な音楽というキーワードを思い付きました。社会性をかなぐり捨てるとああいうのが出てくるんじゃないですかね。そう、普通の*4音楽の方がずっと社会的で、それが当たり前化してて、意識しないと取り去れないようなものである。だから現代音楽は作為的な脱社会化で原始化で、フランス現代思想で、ブーレーズがラジカル発言して京都賞だったんですよ(←また適当を言う。)(←こういうことを言ってるから、不興を買うのだ。)(←分かってたら止めれ。)

文中に出てきたバルトークは、これです。

*1:NYまでは行かないけど東京くらいなら行ってもいいかなーという距離感

*2:テレビを見るときにブラウン管の仕組みを知らなくてもテレビを見れるけど、テレビを作る人は仕組みを知ってないと作れない、このブラウン管の仕組みがここで言う裏方の話です。

*3:他の手段もあるかもしれないけど、私が気付いてない or 出会っていてもアンテナに引っかかって来ないので、これしか認知出来ない。

*4:これもなんだろう?って表現ですが。