新国ジークフリート(3)

(1) (2)を先にどうぞ。

Act3

3幕からはずっとこの舞台を照らしていた蛍光色は無くなって、真っ白い背景に抽象的なセットで、いかにも現代演出な舞台になります。このエルダのシーンこそ、ああいう明るいけど暗い照明がハマりそうですが、何故でしょう。でもなんか考えるのが面倒くさいかな。

ここのエルダの音楽は実は愛聴音源の弱点なので、かなり新鮮に聴けました。でもここって難しいんですかね。なにか美しくないんです。そういうもんなんですかねえ。この演奏ならではの問題じゃなくて、何を聴いてもそう感じがちということですが。


シーンは変わってヴォータンとジークフリートの対峙。蛍光色が復活して、舞台いっぱいのドでかい蛍光レッドの銃床です。火の象徴でしょう。最後はあそこをくぐらせるんだろうと思ってたらその通りでした。

さてここで音響の話に。4階から2階に戻ってきて、オケの聴こえ具合に対しては、やはり先ほどの印象通りであることを確認しました。そしてフランツ・ジークフリートがガチャガチャ声、分かりやすく言うとダミ声に戻っています。やっぱり場所のせいなのかしらと疑いつつ注意して聴いていると、その中に2幕で聴かせてくれた高音のふわっとした瞬間があることに気がつきます。こうなっている原因は2つあって、中低音があまり得意でないのでギャップがあるのと、そしてこちらの要因の方がたぶん大きいんですが、オケが重なるときに力む癖があって、それがガチャガチャ声になっている模様です。そういえば1幕は音楽的にオケと重なっていることが多かったことに思い当たります。ディクションもはっきりしません。ドイツ人なのに。でもこんだけ力んでムラがあったら当然の結果か。


いよいよブリュンヒルデの岩山に辿りついたジークフリート。ここで黒い幕の前で延々独白をするという展開に。これは、どうでしょう。達者な人にやらせれば音楽が際立って効果的かもしれませんが、今日のフランツではなー。2幕のクオリティが出せればいいんですが、あっちは本当に静かな伴奏しかありませんでしたから。このシーンはずっと弦が一定のボリュームを切れ間なく保っていて、条件が全然違います。それに、聴いてるうちに、2幕はなんか特別準備してたような気がしました。

と思っている間に私は飽きてきて、どこで幕を開けるか考え始めます。"Das ist kein Mann!"かな、もしかして"Heil dir, Sonne!"まで開けなかったら、演出家ただじゃおかないゾ!*1などと考えます。正解は"Im Schlafe liegt eine Frau:(ここに女の人が眠っているよ)"でした。まあ外れたのでヨシとしましょうか。でも黒い幕の向こうは、勿体ぶるほどのセットじゃなかったなー。シンプルな白いベットの上にシンプルな白い上下を着た女性が眠っているというものです。

テオリンは録音とギャップが無い声でした。ですが大不満が。まずコペハンリングの柔らかそうでふっくらと優しい、しかしいたずらっぽくもある*2ブリュンヒルデのイメージがインプリントされていたので、このシャープな衣装とキツめメイク*3には違和感大有りです。あの素材をこう使うなんて勿体無い。しかもサイバーポップの眠り姫にはロリータ要素を入れて欲しかったのに全然入って無いし。分かってない!*4 結果的に、テオリンのふっくら要素が無くなって、メタリックなところだけが強調されてしまいました。この演出の意図なのでしょうか、歌唱もそんな感じでした。

んで、あまり2人が接触することも無く、最後にブリュンヒルデがリードして抱き合って幕という。この演出はなんだったんだろうなー。狐につままれた気分で終わりました。

3幕の最後までちゃんと歌えたということでは、ジークフリートは役目を全うしたのではないでしょうか。

総括

噂のトーキョーリングは、目先は次々に変わってその瞬間その瞬間を楽しませてはくれるのですが、あまり文学的な解釈とかをする気になれない演出でしたねー。考えないで感じろってことかな。

良かったところは小鳥!小鳥の解釈です!ただし逆さ吊りはNG。2幕の木漏れ日絨毯とチャンバラのアイディアと、2幕の独白限定でフランツの歌唱も良かった。

思春期の性と目覚め*5的にはいいセン行ってたと思うんですが、それが全然3幕に活きてこなかった。指揮とオケがもうちょっと楽しめたらまた違った印象になっていたかもしれません。

*1:別に具体的に何をするわけでもないけど。

*2:ペコちゃんですから。

*3:アイラインがSF風に極端で、しかも顔色が黒っぽいのです。

*4:注文が細かすぎます。

*5:がテーマだって、ちゃんとパンフに書いてあった。帰り道で読んだ。