我らの時代のリング

予告した通り、ホルテンのリングで私の一番好きな箇所について書こうと思う。ところで私は、今日書くことは本当に描かれていることなのか確信が持てないでいる。これは、私の願望の作り出した妄想で、誰もそんなつもりは無いのに、私だけが――積もり積もった願望の余りの幻を、妄想を――見ているのではないのかと疑っている。


あまり勿体ぶっていても仕方ないので、とっとと書く。それは、ブリュンヒルデが「わたしのおそれも分かってちょうだい」と言って、ジークフリートがはっとして、それで彼は彼女の中にも彼と同じ人間が入っていると気がつくシーンである。それまで彼は彼女の中に自分と同じような人間が入っているとは思ってなくて、「なんかいいもの」――この中身を勝手に具体化して書くと「柔らかくて暖かくていい香りがして、なんか知らないけど自分を気持ちよくしてくれるもの」――としか思ってないんだよね。全く悪気なく。ただ思いつかないだけなんだ。実にありがちじゃないですか。私はこのシーンを描いたことがフェミニズム・リング最大の功績だと思っている*1

そう思って聴くと、それまで自分のことばっかり言ってたジークフリート*2ここではじめて彼女に向き合ったように聴こえて仕方無いのである。たぶん妄想なんだろうけど。いや、アナセンだから何を込めていても不思議は無いのだ。あの人は「外しの美学」の人だから、普通込めないところにとんでもないものが込められているのだ。ちなみに演出上は、ここまではジークフリートブリュンヒルデに拒絶されると頭を抱えてるんですが、もうこっからは頭を抱えなくなるんですね。


こんな話をはじめたのでついでに書くけど、もう全くオペラ関係ないんだけど、ジークフリートが偉いのは、それでも逃げたりしないで直球で向かい合ったことである。少なからぬ人はここでいじけたり格好付けたり面倒くさがったりするものである(いじけるパターンが一番多い)。そこんとこがあまりにも不意を付いて理想過ぎて、潜在意識の底にあった願望を暴かれた気がして、もうこれは現実ではない気がして、私の頭が勝手に妄想を描いたのではないかと疑ってしまう所以である。

そゆわけで、あんなに真正面から、あんなに熱を込めて、Sei mein! と言われたら(しかも3回も!)落ちない女はいないと私なんかは思ってしまうのであるが、しかし誰かがジークフリートにそういう評価をしているところを見たことがないのは実に不思議である。


もうGodsとか全然関係ないし。現代のボーイ・ミーツ・ガール物語、それも全然素朴じゃない、自意識をこじらせた現代人の求めるそれになってるし。実に今日的である。でもそれでいいのだ。これは「我らの時代のリング」なのだから。ホルテンが設定したこのリングの大きなコンセプトもそうだった。加害者と被害者のはっきりしない時代、善意の個人が求める平凡な些細な幸せが積もり積もって大きな被害を生む時代、自分の外側に悪者を求めず自分が加担するシステムの影響を理解して自分が決断をしないといけない時代、そういう時代のリングなのだ、これは。

しかしまた今日もキモい妄想を書いちゃったなー。このblog読んでる人、こんなん読んでて面白いの?

*1:いや、子供とかいる人なら全然違う感想になるんだろうけど、とりあえず私の乏しい経験から差し迫ってくるのはここなんだ。

*2:全くもって、あんたの鎧や兜なんてどうでもいいから!である。