毒味してくれないか?@ワルキューレ一幕

さて今日は、ワルキューレの"Schmecktest du mir ihn zu?" についてである。私はワルキューレの一幕でこの台詞だけがさっぱり分からなくて、かなり浮いて感じていた。

こんなところを読んでる人はみなさんご存知だと思うが一応書いておくと、これはフンディングの館でジークムントとジークリンデが出会ってすぐ、傷ついて疲れ果てたジークムントのためにジークリンデが蜜酒*1を差し出したところでジークムントが口にする台詞である。直訳すると「私のためにそれを飲んでくれまいか?」すなわち毒味してくれと言うわけである。会って間もない人間に言うには、えらく直裁的過ぎる内容である。しかしながら音楽は官能的である。一体これをどう解釈したらよいのか。

コペハンリングではえらい突き抜けていて、おそらく音楽を優先したのだろうと思うが、字幕*2"Why don't you taste it firstly?"*3 Will you not taste it first?、ジークムントは差し出された杯を軽く押し戻しつつ笑顔でこの台詞を言い、ジークリンデは戸惑いながらも嬉しそうに口を付けるという演出になっている。音楽はベタ甘である。もう甘ったるくて甘ったるくて真顔で見ちゃいられないシーンに仕上がっている。

私はこれが初リングだったので、そういうシーンなのだと思っていて、その後で疑問を持ったという経緯がある。ちなみに今積聴してあったシェロー・リングのこのシーンを確認したら、ジークムントは一度杯を受け取ったものの杯に顔を近づけて確認した後に眼光鋭くジークリンデを見ながらこれを言い、ジークリンデは大人しくそれに従うことになっていた。字幕は"Will you taste it first?"、音楽はどっちつかずである。演出の解釈は毒味で、演奏は音楽とリブレットのずれに答えを出せず流したといったところか*4

しかしこの後の展開を考えると、出会い頭に、親切心から差し出した飲み物を疑われて毒味しろと言った男に恋心を抱けるだろうか?そして音楽は?このシーンは何を意味しているのだろうか?


ところでここで全く違う話をするが、私はジークムントとジークフリートは対比派である*5

ジークフリートの読み解きにおいて、おそれとは疑うことなのだという話は既に書いた。ジークフリートは彼の言葉通り最後までおそれを知らなかった人である。疑うことを知らない彼は忘れ薬を飲んでしまって、以後はみなさんご存知の通りである。ところでこれは一般的な感想ではないと思うのだが、実は私は黄昏のジークフリートは全然嫌いじゃないのだが、それは何故かというと、黄昏の彼の行動で何処を改めれば良かったかというと、あの忘れ薬を飲むところだけなのである*6。その他の言動は馬鹿で子供っぽくはあるが、彼は彼なりに誠実に行動しているのである。ブリュンヒルデの自己犠牲のくだりは、彼女がそれを理解していることを示している。

そして疑うことを知らないことこそが、己の猜疑心に苛まれる者にとっての理想のヒーローである理由なのだ。疑うことを知らずに生きたい、たとえそれで命を落とすことになっても。これは己の猜疑心を持て余す者にとっての甘美な空想であり美学なのだ。

さてここで冒頭のジークムントの台詞である。対比派的解釈によると、ジークフリートは理想で、ジークムントは投影である。おそらく己の猜疑心を持て余していたワーグナーにとっての。ここで描かれているのは、ジークムントは疑うことを知っていたということなのだ。女性によって運ばれてくる飲み物、おそらく両方とも甘ったるい酒である。これもまた対比になっているのだ。

さて話の焦点は、二人のヒーローの比較からジークムントに戻る。そうすると、これは悲しいシーンなのである。彼は目の前の女性に惹かれている。音楽は明確にそれを描いている。彼のために毒味をする彼女の白い喉元から目が離せない。しかし彼は彼女も疑わなければならない。彼はそうやって生き残ってきたのだ。しかし、このような人物は社会からどう扱われるだろうか?出会い頭に、親切心から差し出した飲み物を疑って毒味しろと言うような男を優しく受け入れてくれるだろうか?その答えは、彼の過去語りの通りである。

私がこのシーンを演出するとしたら、こうである。ジークリンデは親切心から杯を差し出す。ジークムントは一瞬迷って、毒味を頼む。硬く、ぎこちなく。あるいはぶっきらぼうに。躊躇しながら。(決して眼光鋭く演ってはいけない!)怪訝に思いながらも従順に振舞うことに慣れているジークリンデは杯に口を付ける。この瞬間の音楽は甘い。毒味を終えた彼女が目をあげると、揺れる瞳に出会う。視線が絡み合う。音楽はさらに甘く謳い上げる――。

どうせ幕が開いてすぐの話だから誰も気付きゃしないと思いますけどね*7。でもこう思って聴くと盛り上がりません?

*1:honey meadって英語字幕に出るのでこうだと思っている。おそらく滋養回復のために供されるものだろう。

*2:これは一般的な訳を流用したのではなく、このリング用のデンマーク語字幕を元に作成されたものだと思う。何故なら英語が奇妙でデンマーク語の癖を連想させるものだからである(笑)。

*3:後で確認したら、いい加減なこと書いてました。なんでこう覚えてたんだろ。言葉で覚えてなくて、そのときの人物の感情で記憶してて、その気持ちの言語化がこれだったらしいです。

*4:このシーンしか見ていないので、通して観たら違う印象になるかもしれない。

*5:いつそんな党派が出来たんだ。いや私が思いつくくらいだから既にあるに違いない。

*6:そもそも岩屋を出なければ良かったとか、その手の話は結果論である。

*7:しかもフィルム用ならともかく舞台用としては効果的じゃないな。後で見返さないと分からない演出になりそうだ。