岡田暁生著「オペラの運命」

サブタイトル:19世紀を魅了した「一夜の夢」中公新書、2001年

私は教養主義とはとことん相性の悪い人間で、自分で感じて考える前に、誰かが言ったことで頭をいっぱいにしてしまって、それが自分で考えたことか先入観のせいか分からなくなるのが嫌なので、特に自分の考えが固まるまではこの手の本に触れることを避けることにしていて、でもまあオペラ暦一年経ったし、そろそろいいかなということでこの手の本を読んでみました。というわけでいつものごとく抜粋混じりのメモです。

  • まず基本的なオペラの歴史。バロック時代にギリシャ悲劇を復活する試みとしてはじまる。ギリシャ悲劇なので神様や英雄の出てくる悲劇である。その幕間劇としてスペクタクル絵巻的な性格の強いインテルメッツォが生まれた。これがそれぞれ後のオペラ・セリアとオペラ・ブッファの起源となる。
  • 「もし読者の周囲にどうにもオペラと相性の悪い人がいるとしよう。おそらくその人は、オペラというよりまず、オペラが前提としている文化史的な諸条件と体質が合わないのだろう。それはつまり華美(それも桁外れの)を肯定する体質である。」
    • 私じゃん!バックパッカー体質なのにオペラ趣味とかバランス悪すぎる。どうもああいう贅沢空間も着飾った人々も落ち着かないんだよな。こ、こんなところに私なんかがいていいのだろうかと思ってしまう。
  • 「オペラ劇場の客席構造は、それがもともと社交を目的とする空間だったことをはっきり示している。まず最も高貴な人物のための席は二階中央の貴賓席である。だがここがすべての座席で最も高価なのは、それが最も舞台をよく見ることの出来る座席だからではない。むしろ貴賓席は、そこから劇場中の観客を睥睨し、かつ彼らの視線を一身に浴びることが出来る位置にあるからこそ、そこに国王が座ったのである。つまり貴賓席はオペラ劇場の「もう一つの舞台」なのだ。それは純然たる鑑賞目的の座席ではない。自らも役者の一人として満場の観客の視線に身を晒す覚悟のある人間だけが、ここに座る資格があるのである。」
    • すいませんもう二階には行きません。下々の者は慣習に従って平土間か天井座敷に行きます。てゆうかなんであそこの音響が良く無いのか実によく分かりました!!
  • 「ブッファでは当然、人間業とは思えない高音を操るカストラートは使われない。またセリアの登場人物のほとんどがカストラートテノール、ソプラノという高音域に限られているのに対して、ブッファではバリトン、バス、メゾ・ソプラノといった実際の人間の声域に近い声域が好まれる。そしてセリアの装飾過多なコロラトゥーラ技法の代わりに、ブッファでは素朴な旋律の美しさが求められるのある。
    こうした音楽様式の違いには経済事情も絡んでいただろう。ブッファではセリアほど予算の余裕がないので、経費のかかるカストラートは使えない。カストラートと言わずテノールやソプラノですら、その声域が出せる優秀な歌手を見つけるだけで一苦労だったはずである。」
    • なんとなく思っていた声域の疑問のヒント。
  • 18世紀初頭。ブルジョア層の観客が増える。
    「名士ぶってはいるが、さしたる教養もない彼ら、前もって何らかの観劇の準備をする気もなければ時間もない彼ら、昼間の労働で疲れている彼ら。こんな聴衆をいかにして劇場に引きつけるか?グランド・オペラがその手段としたのは、徹底した「ビジュアル性」である。つまりグランド・オペラとは、あらかじめ台本を読んでおく等の準備をせずとも、ただ「ポカンと眺めている」だけで楽しめる即席の娯楽なのだ。」
  • 19世紀。オペラの大衆化→ボックス席の廃止とギャラリーの導入(壁を取り払い座席を増やす)。
  • パリ7月王政の時代。オペラ通の誕生。「彼らはオペラのことを隅から隅まで熟知していて、静かに集中して舞台に見入り、また音楽に聴き入るところの、知的で批判精神旺盛な聴衆であった。」
    • 実は、今日のようなのは新しい鑑賞態度なのだという話。じっと舞台を眺めて作品に集中するなんてのは野暮天のすることで、舞台はたまに見入る程度で社交に打ち興じるのが正統派の鑑賞態度なのだ。
  • フランス革命以後。オペラと民族主義。国民オペラ。それまでのイタリアまたはフランス・オペラに対しての自国語オペラ。レチタティーヴォの代わりに地の台詞を使う。
  • 後進国にとっての国民オペラ。国民意識を高めつつ、諸外国に全く通じないものではいけない(国威の誇示にならないから)。
  • ワーグナー以降。王侯貴族を含む全ての観客に、舞台に集中することを強制する。いやはやすごいおっちゃんだ。なんとなく「知の時代」の先取りな感じがします。