オペラと音響デザイナー

読んで良かった本。生音が原則のオペラで音響デザインとは何をするの?ということと、音響から見たオペラの現場が書いてあります。

オペラと音響デザイナー
音と響きの舞台をつくる
シリーズ・アーツマネジメント
小野 隆浩 (著)
新評論 (2002/06)

目次

  • 第1章 歴史としてのオペラ―オペラ創世紀
  • 第2章 知識としてのオペラ―大流行から現代まで
  • 第3章 仕事としてのオペラ―オペラができるまで
    • 作品決定から仕事の依頼
    • 音楽稽古
    • 立ち稽古
    • 粗通し
    • 通し稽古
    • オケ練とオケ合わせ
    • 仕込み作業
    • 照明の時間
    • 舞台技術稽古
    • 舞台稽古(場当たり)
    • ハウプトプローベ
    • ゲネプロ
    • 本番
  • 終章 オペラの音響デザイナーとして―自分の立ち位置

具体的で断然面白いのは3章ですが、その他の章も客観的で読ませるものになっています。音楽スタッフだけでなく、照明や音響などの技術スタッフを含めた舞台の準備スケジュールの記載は結構珍しいんじゃないでしょうか。

通して読んで思うのは、著者は実に細やかな人だなあということ。「ストレスのない音響空間」という言葉が出てきますが、客席で聴く音が不自然にならないように気を配ることはもちろん、演奏する人にとって音響上のストレスがかかって実力を出せないようなことのないように、あるいは演奏場所と客席での音響のずれを予想して客席で自然な響きとなるように演奏場所の音響を整えたりといった、予測と相手の立場に立って考えることをひたすら実践する仕事です。では、本の中から、音響デザインって具体的に何をするのかという事例を紹介してみます。

  • 舞台装置や幕類の吸音、遮音状態を確認し、音量や周波数への影響を調べ、好ましくない影響があるようならそれを取り除く手段を考える。素材の変更、反射板や布類の設置、どうにもならない場合は電気的な補正*1を検討する。幕の選び方や、舞台装置内の乱反射や低域の音溜りに対して吸音素材を置くなどの手段がある。
  • オペラの中の効果音を用意する。雷、風、鐘の音、小鳥のさえずり、小川のせせらぎなど。録音をそのまま流すと浮き上がってしまうので、オーケストラと同時に流して溶け合うように加工して使う。
  • 演出によって出る物音を予測し、音楽の邪魔になるようなら吸音手段を用意する。足音を抑えるマットなど。
  • かげ歌、かげコーラス、バンダの場所を確保する。これらが作曲家あるいは演出の意図通りに聴こえ、かつ、ごった返す舞台裏で実現可能な場所やそのための設備を確保する。舞台裏で行われるコーラスなどは客席の目の前で行われる演奏と比較して音量不足やライムラグが生じやすいので、これを補う準備をする。マイクを使った拡声も手段のひとつだが、合唱指揮者による先読み(舞台表の演奏よりも早いタイミングで演奏によって浮き上がらせる)などの手段もある。このために舞台裏で表の様子が分かるようにすることは必須で、指揮者が見えるようにするためのモニターや舞台表の音を舞台裏に流すための音響機材なども用意する。
  • 上述の指揮者モニター、舞台の音を各所のスタッフに届ける音響機材を用意する。
  • 音響仕込み図を作成する。舞台ではこれらの仕事が同時進行していくため、そのきっかけや必要な機材、回線、操作方法などを一覧出来るスケジュール表が必要で、これが音響仕込み図である。
  • 実は舞台の上にはオーケストラ・ピットの音は届きにくい。このためマイクで拾った音をステージに流すことでオケを聴きながらの歌唱を可能にしている。これをステージモニター・システムと言い、6〜8台のスピーカーを天井から吊り下げて使う。歌手が望むような音響環境を作り出すことによって、無理のない自然な発声を引き出せるようにする。
  • 必ずしも客席に向けられる音が電気的な拡声をしていなくても、上記のように舞台表には様々な音響素材が存在する。これらを観客の目に入らないように設置することも仕事のひとつである。
  • オケピットの中には指揮者用カメラや録音機材などが特に集中する。ただでさえ狭いピットの中にどのように設置するかも問題である。客席から音響機材と意識されないように設置することも考慮に入れ、機材の選定と設置方法に工夫が必要である。BLMマイクの採用、歌うための楽器*2チェンバロの集音など。
  • 同じオケピット内でも客席への音の拡がりを狙って楽器が離れて配置された場合、お互いの音が殆ど聴こえないということが起こりうるので、これも電気的な拡声をして補う。
  • 反射板や吸音素材を用いた手段を建築音響、マイクやスピーカーを用いた手段を電気音響という。これらの手段をその場に応じて用いつつ、電気音響を排除することに固執しないことも重要である*3
  • 「ストレスのある音響空間」と解決方法の例。一見すると壁に見えるが実は紗幕で出来た壁で囲われた舞台装置。このような場合、歌手は反射を予想するが実際には吸音するので感覚とのズレが生じて歌いにくい。紗幕の外側に反射の役割を果たすスピーカーを置いて、感覚とのズレを補正して歌いやすくする。スピーカーの音量は客席に聞こえるレベルではなく、ステージ上の音環境を補正するものである。
  • ピットの中で大太鼓は壁際に配置されるため、近くの壁の反射のせいで客席で聴いてちょうど良い音量よりも小さい音量で演奏しがちになる。この場合大太鼓の近くの壁に吸音板を吊るして、客席で聴いて丁度よいレベルで演奏しやすくする。

さて生音でやるオペラの舞台に音響デザインなんて要るの?という疑問にこの記事が少しでもお役に立てば幸いです。最後に、この本からの抜粋と自分用のメモを。

  • 「私が仕事を始めたころは、オペラを含めたクラシック音楽にとって、吸音するということは最大のタブーと考えられていた。そのため、舞台上のすべての音は反射もしくは吸音しないようにすることが大切、と長い間考えられていた。しかし、その後の研究で、音の反射には効果的な反射と音を濁らせてしまう反射があるということが分かった。客席に美しい響きを与える反射は大切にし、原音に対して濁りを与えたり、変な味付けを行う不要な反射は逆に吸音した方がよい結果を生むということも分かった。生音で演奏されているにもかかわらず自然な音の印象が得られないときは、この不要な反射が起きていると考えた方がよい。
    最近の劇場は、音的にも研究されて緻密に設計されているために、音響性能が格段に良くなっている。そのため、古い時代に設計された劇場では気にならなかった音が新しい劇場でははっきりと認識される場合が多く、(中略)音響デザインの一環として適度な吸音処理も必要と考えるべきである。」
  • 自分用のメモ。用語。コレペティ稽古、オペラピッチ、10型2管*4プルト(譜面台数)、トッププルトプルト表など。
  • 多面舞台特有の長い残響時間の問題。直接音、客席の残響音、多面舞台の巨大な空間による残響音の順に聞こえてしまい、美しい響きとはかけ離れた音になる。遮音シャッターの利用。
  • 舞台奥や高い場所で歌う場合などで聞こえにくい場合など、舞台の音を補助拡声する際の音像の結ばせ方。ディレイの積極的利用、歌手からの直接音を先に届かせてそちらに音像を結ばせる。舞台を6〜9のブロックに分けて全体をディレイで調整する。
  • イコライジング利用例。舞台装置による偏りを補正する目的の他に、歌詞を聞き取りやすいようにイコライジングするケースがある。日本語は歯擦音を強調すると聞き取りやすい。

*1:吸収される周波数帯の音だけをマイクで補うなど。

*2:特定の曲で歌手がきっかけを図るために利用する楽器が決まっている。この楽器の音が舞台で際立って聴こえるように独立して集音する。

*3:電気的な手段で補った方が自然な音となる場合がある。

*4:数字の部分が変わる