ノストラダムスの大予言

こんだけネタにしまくっておいて言うのもなんだが、ワーグナーって基本的には台本うまくないよね。いろいろ面白そうなものを仕込んではいるんだが、大多数の人に通じるような形にはなってない。なんでかというと、自意識過剰なアウトロー精神とでも言うべきもの*1が根底にあって、描きたいもの自体がちょっとマニアックというか、本人が屈折した人だから、そうでない人のことがあまり分かってなくて、本人が面白いと思うものとみんなが面白いと思うものがずれてて、仮に本人が描きたいものをうまく描いたとしても一般にウケるようなものじゃなかった気がする。

それは、例えば、ワーグナー本人がこれはウケるだろうと思って作ったのがジークフリートで、実際にはあれが一番ウケなかったという事実が物語っているような気がする。いえ、私は大好きですけどね。屈折してますから。

幸いにもはっきり描かれなかったおかげで、色々妄想の余地があるというか玉虫色というか、各人が見たいものをその中から取り出せるようになってる。そして、まずいことに(まずいことなのか?)、音楽が語っちゃってるんだよね。そのせいで、却ってはっきり描いてあったときよりも刺激されるようなものになってる。ところでこれって、あれに似てるよね、ノストラダムス。1999年の恐怖の大王以来とんと存在感が無くなってしまいましたが、それ以前は結構存在感があって、いろんなことをあやふやにボかして言ったためにその後の現象に当てはまってしまった、後世の人がノストラダムスの言ったことの中に現実に起こったことを見つけに行ってる、予言通りのことが起こったんじゃなくて、現実に起こったことを彼の言葉の中に探しに行ってるんだ、なーんて言われてましたっけ。

それっぽく言うと、全ての解釈を受け入れ、かつ、唯一の解釈を拒んでいるってとこかな。こういう言い方をしていくと奥が深い症候群に突入してしまいそうだが、私は、奥が深くもなんともなくて、構想に台本が追いつかなかっただけだと思ってます。んで、このケースではそれが幸運だったのだとも。

リングの最後、それは結局未完なんだと思うんだけど、ワーグナーはこんな感じを描きたいって音楽だけ作って、後は作らなかった。だから何を持ってきてもいいと思うのだ、私は。未完の大作を延々作り続けるというロマンに参加したらよいのだ。

*1:俺はアウトローさと積極的に引き受けるのではなく、必ずしもそうなりたいわけではないのにどうしても社会からはみ出してしまうゆえにそのようにしか生きられない人間の持つ戸惑いみたいなもん。もっと平たく言うとアウトローであることをくよくよ意識するアウトロー