アナセンとおそれを知る旅

彼のリリックを聴いた人はみんな思うであろう疑問「なんでこの人がワーグナーを?」に関連するエピソードを書いてみます。

彼はソリストとしてのデビュー直前の1977年のバイロイト、シェロー・リングにコーラスで参加して、ここで、いつかあの役を歌うんだと思ったそうです。

そしてオーフス、コペンハーゲンソリストデビューしてすぐ、軽い役と並行してスピント、ドラマティコ系統の重い役を歌いはじめます。このときのレパートリーは「道化師」のカニオなど。しかしすぐに声楽のコーチに止められて、しばらく軽い役だけを歌うように言われます。1986年のマスカレードはこの時代のものです。

そしてデビューから10年後の1988年に最初のオテロを歌い、すぐにフロレスタン、ピーター・グライムスとレパートリーを広げます。この頃に声楽のコーチに付くのは止めて、今に至るまでそのままだそうです(ということは、反対されたのに押し切ったのですね)。

ワーグナーを本格的に歌い始めたのは1993年のオーフス・リングのジークムントから。ちなみにこのオーフス・リングのアシスタント・ディレクターが当時20歳のホルテンです。国際的にブレイクしたのは1994年のオーフス・ジークフリートで、以後ワーグナー歌手として各地で歌うようになります。ちなみに東京でポール・エルミングの代役でパルジファルを歌ったのは1997年ですから、日本の観客はワーグナー歌手としては比較的キャリアの初期の彼を聴いていることになります。

以後、声量がないとかこの声はヘルデンではないとかそんなんだから2幕で殺されるんだ@ワルキューレとか言われながら、独自の地位を築いて今日に至っています。リリコ卒業後のめちゃくちゃ詳しいバイオグラフィはこちら。
http://www.dennyopera.dk/cv.asp?id=73&operaid=21


本日の内容は、以下の記事+もう何処で読んだかすら思い出せないネット上のあちこちのエピソードを思い出しながら書きました。

*1:ところでどなたかドイツ語の分かる方、この記事のピッチのところを解説してもらえると嬉しいな。