ボリス・ゴドゥノフ@METライブビューイング

観て参りました。最初に結論から入ると、パーペのタイトルロールには満足。ロシア人歌手で固められたキャストによるロシアンな様式を堪能するという点でも満足。しかし演奏は微妙に味わえず、合唱も同様。演出は及第点。

今回も不幸な出来事に見舞われ、ライブビューイング企画とは相性が良くないことを再確認してしまいました。まず音響が良くない。立体感が無い。ひたすら平べったい。その音響のせいもあってか演奏にイマイチ乗り切らず。さらに、立体感が大切な合唱がよく分からん。個々の歌手の声はともかく、合唱についてはこれ大打撃です。以上は主に再生装置側(映画館)に原因があると思われる感想です。演奏そのものについては、DVD発売かネットラジオの放送を待って、いつもの環境で聴けるまで保留しときます。

そしてさらに不幸な出来事が。なにか携帯の操作音のようなチッチッという微かな高周波音が、不連続に断続的にしてくるんです。最初は携帯かと思って「ったく、映画館はしょーがねーなー」と思って、でもそのうち終わるだろうと思ってたら、いつまで経っても終わらない。1分に2回くらいの頻度のまま、とうとう最初の休憩まで、一時間半以上の時間を高周波音と共に過ごす羽目になりました。拷問です!!!おそらくご年配の方で、時計とか補聴器とかその手の機器で、ご本人は高周波が聴こえなくなってて音出してることが認識出来てないんじゃないですかね。休憩時に耳を集中して音のありかを突き止めようとしたのですが、視界が暗くなって音楽に耳を澄まして分かる程度のボリュームで、明るいところで周囲がザワザワしてると突き止めることが出来ません。スピーカーからMETの客席のザワザワ音も流れてるし。

休憩時に映画館のスタッフに相談したのですが、原因が分かれば個別に注意は出来るが、分からないとどうしようもないとのこと。空席に移動していいと言われたので、自分の方が移動してやり過ごすことにしました。しかし音が聴こえてくる辺りとは思いっきり反対サイドの隅っこに陣取ってもまだ微かに聴こえてました。あれ、近くの人、気にならなかったのかな。私なら発狂してしまいそうだが*1

すいません、パフォーマンスについて何も書いてませんが、とりあえずこれだけは叫んでおきたかったので!それにネタばれどこまで書いていいかってのもあるから、続きは後日。

追記/いまさら感想

これね、直後に書いたように映画館の音のせいでロクに味わえなかったので、その分申し訳ない評価になっているかもしれないけど、読むときは割り引いて読んでください。

観て一番に思ったことは、わたしは、俳優としてのパーペが大好きだったんだなあ、ということだったりした。オペラ歌手に、歌手としての要素よりも俳優としての要素を評価するというのは大変失礼なことかもしれないけれど、実際「彼/彼女は歌手でなくて俳優だ」というのは陰口として成立し得ることも知っているけど、まあそういう文脈ではなく、歌の水準とは全く切り離した上で、俳優としての能力が突出しているのだ。特に静的な作品のスクリーンの俳優としての能力が。能力というよりは適性なのかもしれない。

少し思い出話をするけど、もう死んじゃった人で、もしかしたら一番好きな俳優かもしれないというくらい好きなマッティ・ペロンパーという人を食った名前*2の俳優がいるのだが、ブラナーの魔笛でパーペをはじめて見たときの印象は、何故かペロンパーを思い出して仕方無いというものだった。二人は全くタイプも違うし、顔も似てないし、そもそもペロンパーはとても小柄な人だった。しいて言えば2人とも渋可愛い系*3なのが似てるかもしれない。

何が似てるって、観てると感情が流れ込んで来るのだ。特に何も喋ってない(歌ってもいない)静的なシーンでそれが顕著だった。それが何か分かったのは、このときのことだった。困ったちゃんな質問を投げた私に、パーペは本当に困った顔を見せた。いや、その前に、サインを再度もらったところで「さっきあげたでしょ?」ってちとイラッとして、もらいながら「質問していいですか?」って言ったら「ああ、そういうことか」と納得して、その次に本気で困って、その一連が全部ダダ漏れなのだ。成人男性としてはあり得ないくらい、思っていることが顔にそのまま出る人だった。それで私はすごく納得した。素がそういう人だったのだ。同時に、ペロンパーも会ったらこんな感じだったのかしらと思ったりした。それで私は彼に関しては気が済んでしまって、楽屋裏に通わなくてもよくなった。

ところで今更かもしれませんが、ああいう人はモテますよー。あれって、間近で見てると惹き付けられて目が離せなくて、なんでこの人は他の人と違うんだろうと思って、気になって仕方無くなるから。まあ人気スターなこの人に今更言っても仕方無いとして、一般の人でこういうタイプって、ちょっと理解出来ないくらい高いヒット率で、モテるような行動を何もしてないのにモテます。

話は公演の感想に戻って、そんで、申し訳ないんだけど、音楽はドレスデンのときみたいにビシバシは来なかった。まあライブ鑑賞と比べちゃダメですか。映画館のせいもあるけど、家のステレオで聴いてるときと比べても来なかった。

まあ結局私はこの公演、そこそこ面白くは見れたけど、最後まで入れなかったんですよ。

音楽はずっとピンと来なかったけど、一箇所だけ「お?」と思うとこがあって、それがポーランドの場の人がいっぱい出てくるとこ。マリーナの侍女達じゃなくて貴族達が出てくる方。それをきっかけにしてノれるかと思ったら、また元に戻ってしまった。

なんせ半年以上前のことなんでこれ以上は覚えてないんだけど、マリーナと坊さんは気に入って、偽ドミトリとシュイスキーはNGで、ピーメンは僧院のときはそんなに来なくて、でもボリスの死の前の場面では「お?」と思って、あと誰がいたっけ。聖愚者は悪くはないけど紋切り型だなーと思った。

あんまノれなかったのは、全体に「間」があまりにも紋切り型で退屈だというのもあったんだよなー。不安定さとか外しが好きで評価する人間の戯言ですが。演出のせいもあって、パーペが勝手に動く余地もあんまし無かったような気がするし。その意味ではドレスデンはずっと面白かったんですよ。あの人は勝手に動いてる方が面白いんだけど。私はパーペの、ステロタイプな様式にハマらなくて、どんパペになってて、そこに出来るギャップにゾクゾクするから。

演出は、メトの演出としてはこれでいいんじゃないでしょうか。でも私としてはまた観たいと思わせるような演出ではなく*4。例えば、話題になった最後の暴力シーンですが、あれなんか、本来はロシアのその後を知っているから、リブレットに書かれた要素だけでズシンと来るシーンなわけじゃないですか。でもイマドキの観客にそんなことは期待出来ない。となれば極めて分かりやすく視覚化しないといけないわけで、多数の観客に支持されなければいけないメトの演出としては正しいのでしょう。でも私個人としては、そうせざるを得ないことを一定理解しつつも「あーツマんない」と思ってしまった。大体元々この手の足し算的発想は好きじゃなくて、ものすごく抑制された中に、抑制されているからこそ強く伝わるみたいなアプローチを好むもんで*5。大体引き算か、意義をよく考えた上で再構築したものが好きです。8割の人に支持される舞台にならないだろうけど。

ここが私が大劇場は好きじゃない理由でもあります。大劇場が大劇場であり続けるためには、8割の人に支持される作品を作り続けないといけない。ただ、8割の人に分かる作品にすると、私にとっては大味になってしまうのだと思います。歌唱自体もそうなのかもしれないと思い当たるところがあって*6、だから最近私は人気歌手を聴くことにイマイチ乗り気じゃなかったりします。むしろ世界的には無名で特定の劇場で活躍する人とか、一部に熱狂的にウケるが一般的な人気にはつながらない人に、私の求める人がいるんじゃないかと思っていたりする今日この頃です。そういう人は日本にもいて、小さい公演でも聴けたりするので、嬉しいことです。

メトは日本ではとても露出が高いので触れる機会は多いのですが、個人的にはメト離れを意識したライブ・ビューイング体験になってしまいました。

(MOVIX京都で鑑賞)

*1:はっ!もしや私にだけ聞こえる?ヤバい人なのか、自分。

*2:フィンランド人だから仕方無い。

*3:矛盾した形容であるが気にしない。

*4:この演出をもう1回観たいかという意味でなく、こういう作品を作る劇場の作品をまた観たいと思わせるものであったかという意味です。

*5:なんか、日本大好きガイコクジンが期待するステロタイプ日本人みたいなこと言ってるぞ!ZENだ!WABI-SABIだ!みたいな。

*6:そう思い至ったきっかけもあるのですが、それもまた書きます。