トリスタンとイゾルデ@DKT一日目

さて何から書こう。一番自分にとって大きなこと、やっぱりアナセンのことから。彼の歌は何が違うかって、リアルな人間を感じるんです。はじめて触れたときの感想を引用しますが、

http://d.hatena.ne.jp/starboard/20091227
でもこの人すごいんですよ。何がすごいって、彼を見てると、ジークムントを一人のリアルな人間として感じるんです。あんなぶっとんだ設定の人物をこんな風に思う日が来るとは思わなかった。物語の登場人物としてリアルとか演じることに関してリアルというのと、自分の隣にいてもおかしくない人間の一人としてリアルって違いますもん。何故か前者を通り超えて後者なんです。

やっぱりこれに尽きると思います。そうしているのは、彼の歌唱に明確に含まれている複雑*1な感情表現、ニュアンスだと思います。もちろんそれにぴったり合致する演技も。実は演技は相当達者です。演技に緩急があるし、ちゃんと腰が入ってる。

ただ、この人の演技は、どんな悲劇の最中にも笑顔の瞬間はあるし、その逆もまた然りというような、現実の人間を反映した、ある種卑近なリアリズムなんで、雰囲気重視の方にはオススメしません。

これに関連してですが、実はわたし、ありがちな美男美女が演じるひたすら美しいシーンみたいのダメなんですよね。どうもナルシズムが鼻についてしまって、なんだかなあって思うし*2、どうも雰囲気ばっかりで描写が粗くてダメです。あえてキツ目に言うと「作り手に馬鹿にされてる」ように感じる。でも、こういう感じ方って素直な方々との摩擦が生じるし、特にこういうシーンとなると「女なら、こういうのにうっとり」的な反応を念頭に入れて言動に注意してこなければならなかったという過去の蓄積に対するモヤモヤがあります。みなさん全く疑ってませんから。こっちが一方的に疑ってるだけです。そういうとこで疑うのはツラいんですよ。なんでこんなこと書き始めたかというと、私は彼はすごく特別だと思うけど、それは万人向きではないと思うし、デンマークでは好まれるらしいけど*3、このblogなんかで誉めてるとたまに真に受けて手を出してガッカリする人がいるらしいんで、ちっと反省して、こういう注意書きを付けとこうと思った次第です。「人々は私が良いと思うことを悪いと言い、悪いと思うことを良いと言う」「私があること/ものを気に入る理由そのものが、みんなが気に入らない理由そのもの」「疑うことを知らないことこそが、己の猜疑心に苛まれる者にとっての理想のヒーローである理由」の一端を感じて頂ければ幸いです。まあこういうわけで、音だけで聴いてくださいと度々言ってきたわけです。いや、音にもそれは入っちゃってるのかな。私にはよく分かりません。

私にとってリアルというのは、彼と私の人間理解に共通点が多いからなのかもしれません。他の人にとってもリアルなのかはよく分かりません。本人にこの話をしたら「まさにトリスタンで自分が伝えたかったことそのもの、正確に(precisely)そのものだ」って反応で驚かれたんだけど、それが相性なのか、それとも他の人でも感じる客観的なものがあるのか、私にはもうよく分からなくなっています。

ああ、全然公演レポになってない!とにかく、リアルな人間の感情がダイレクトに飛び込んできて、胸がギューって締め付けられるんですよ。一幕の媚薬を飲む前の問答とか、二幕の二重唱もマルケ王に答えるとこも、三幕はもうずっと!三幕はその状態があんまり長く続くので、こっちの心臓がどうにかなっちゃうんじゃないかと思った。オペラ観てて心臓発作起こして倒れたら笑えます?そのまま死んじゃったら腹上死並の名誉(?)ですね。

もうこうなっちゃうと、どこがどうだったかなんて全然書けないんですよ!でもいまから二回目を聴きに行くから、先にこのことだけは書いておきたかったんです。他のキャストとか演出の話は色々書きたいことがあるんだけど、帰ってから書きますね。あ、そうだ、マルケ王のミリンは生音だとあんなに気になった舌足らずが全然気にならなかったです。


最後にちと座席の話。本日の席は平土間一列目のちょっとだけ上手寄りで*4、これが視覚的にはドンピシャで、知ってて選んだのかというほど、一幕の媚薬を飲むまでのトリスタンの立ち位置だわ、二幕で二重唱を歌う間の二人が座ってるド真ん前だわ、三幕でイゾルデがやってくるまでのトリスタンの位置だわで、セットの関係でどうしてもこの位置になるってポジションがたまたま私のシートの目の前だったんですよ。しかもこのトリスタンはこっちの顔凝視しながら歌うし。

でもここ、音は、オケの音が強過ぎて、今どの楽器が音出してるか常に分かるくらい解像度は高いのですが、はっきり言って、歌は超絶聴きにくいです。これなら上海の方がよほど聴こえたんじゃないかってくらい*5。デカ声が好きで一列目に座るって人ネットでちょくちょく見かけますけど、止めた方がいいですよ。このエリアは数列離れるだけで全然違うのに。

まあ私は一回目は間近で観て目に焼き付けて、その印象を元に二回目で聴こうと覚悟して選んだからいいけど*6、と言いつつ、やっぱりちょい後悔したかも。ちなみにこの一列目は壮年のおじさまばかりで、みなさまワグネリアンなのでしょうか。ストレス溜まらないのですかね。みんなオケの音を浴びたいからいいのか?

最後と言ってから長々書いてますがちょっとだけ演出の話。三幕のトリスタンの死以降が「お能」でした。その意味は後ほど書きますが、私はアナセンは本能の人で、こういうときに人間はどう動くかってのを本能で嗅ぎ取ってて、自分がやるように他の出演者にもさせるものだとばかり思ってたから、ここはものすごく驚いた。いい意味で。演出家アナセンを見くびってたかもしれない。

さて、今から支度して二回目行って来ます!

*1:私としては複雑でもなんでもなく、ただ等身大なだけだと思うけど、よく流通している誇張され単純化され図式化された像と比較して複雑だと思う。複雑というより精密?

*2:だから本当はオペラ向いてない。太ったシンガーが活躍する現状に救われてるとこがある。

*3:この国では他所で所詮サブカルにしかならないものが保守本流として存在し得るので吃驚する。

*4:当初は一列目ド真ん中だったんだけど、交換してもらえた。

*5:まあジークフリートは実は二幕以降は(最後の最後の2人の声が重なるとこを除いて)ジークフリートのバックはオケ薄いからってのもある。

*6:もひとつ理由があって、日本人としても相当ちびっ子なもので、海外なんか行ったら前の人が特別大きい人でなくても視界を阻まれてしまうんです。一人子供がポツンと紛れ込んだようなもんです。