京響定期2011年5月

先に公開リハで聴いて、超期待しながら行った広上のおっちゃんの回の定期です。期待通り半分、未満半分な結果になりました。期待通りの部分は、やっぱり京響サウンドです。情緒のあるいい音ですよねえ。今回は特に弦の音がいいなあと思いながら聴きました。未満の方は、これまた贅沢な話ですが、この組合せにも慣れてきて、これまでは毎回感じることの出来た、驚き・発見・(よい意味での)裏切りの連続という感覚が薄れ、期待通りの範囲内に収まってきたことでしょうか。これは自分の側の変化かもしれません。あと、いまちょっと、自分の側の理由で、注意散漫になってるかもしれません。

京都市交響楽団第546回定期演奏会
2011年5月21日(土)2:30pm
京都コンサートホール・大ホール
広上 淳一(常任指揮者)
ゲザ・ホッス=レゴツキ(ヴァイオリン)
尾高惇忠:オーケストラのための「肖像」
グラズノフ:ヴァイオリン協奏曲イ短調op.82
ラフマニノフ交響曲第2番ホ短調op.27

さて時系列レポ。この日は、前の予定が奇跡的にうまく行かない限り遅刻するのが分かっていたのですが、そこから頑張ってダッシュして10分遅れで会場に到着しました。ホールに漏れる「肖像」が聴こえてきて、今日の演奏の手ごたえをビシバシ感じました。この曲は是非聴きたいと思いました。後でパンフを見るとこの日の演奏はNHK-FMで放送あるそうですから、待てば聴けることが判明して、悔しいながらも一安心しました。続くヴァイオリン協奏曲はというと、さっきホールでの手ごたえから言うと、ちと肩透かしなところもあり。演奏はしっかりしてるんですけど、曲のせいなのかな。本日のソリストは口当たりの良い音だなあと思いました。が、わたしはやっぱり協奏曲の聴き方が分かってないし、ヴァイオリンも(数少ない例外を除いて)苦手なんだと思いました*1。ただ、この曲の途中でチェロのピッツィカートは、はっとするほどいい音だった。あそこはすごい。ピッツィカートでこんなん聴いたことないよ。

さて後半のラフマニノフ。まだ頭の中にメインのテーマが残ってます。ここの5:06くらいからはじまるテーマ。切ないような苦しいようなざわつく心の中に、なにかが忍び込んでくる、そんなテーマ。いやごめん、今日はこれ以上書けないや。最中にはいろいろ思ったんだけど、注意力散漫でどっか行っちゃった。疲れてるのかな。ま、こんな日もあっていいでしょう。こと細かに覚えてて言語化出来る経験がよい経験とは限らんし。聴衆の反応は大受けでありました。

でもやっぱり思ったんだけど、おっちゃんの音楽って、全然違うよね。なんか違う。すごく感じるんだけど、それが何かは言語化出来ない。でも全然違う。全ての瞬間に違和感がない。でも驚きはある。けどやっぱり言語化出来ない。なんだろうこれ。

あ、そうだ。リハのときのことを書いておきましょう。と言っても、座ったところがステージから遠くてはっきり聞き取れないことが多くて、細かいところは分からないんですが。言葉を交わしてる時間は予想よりずっと少なく、音を出してる間の表情のやり取りで意思表示してる印象。練習後半だからか?おっちゃんダンスは本番と変わらず冴え渡っている。むしろ何か本番より分かりやすいような?後ろ姿を見ながら、ああ、これはこの曲をどんな風に聴いたらいいかそのままだなーと思う。おっちゃんダンスはなにか違うと思っていたけど、これだったんだ。たまに質問のやり取り。スコアにはこう書いてありますが無視してくださいなんて会話が聞こえてくる。空席のホールの響きに耳がモードを合わせていたので会話は全然聞き取れてない。もともと聞き取りは(母国語でも)弱いんですよ。

最後にレセプションに行ってみた。目の前でおっちゃんを見たら、超かわいかった。予想よりさらに小さく、たぶん私より小さかった。身長を聞きたくて聞きたくて溜まらなくなり、話しかけたら本当に聞いてしまいそうだったので、頑張って我慢した*2。休憩時に話す知り合いでも出来ると嬉しかったけど、「変な人に話しかけられちゃってヤダー」と思われるのがこわいので早々に帰った*3

*1:別に悪い意味じゃなく、オペラも今のように聴けるまで時間がかかったから、そういうことってあるんだと思ってます。ある種の慣れというかスキルが必要なの。

*2:こんなところに書いてたら一緒だろう。

*3:日本人は嫌なときに嫌な顔を見せないので、嫌がられる可能性のあることをしないという予防策をとらないといけないので実に面倒である。