ワルキューレ一幕@マンチェスター

さてロンドンからマンチェスターに移ってきました。街は、あんまし歩いてみようとか、そういう気分にはならないです。今回は写真もサボってます。マンチェスターで良かったのは、ホテルの価格対部屋の広さ・設備が、(チューリッヒ、ロンドンと旅した後の感覚では)途上国みたいな相場だったこと。単なるビジネスホテルで面白みがあるような部屋ではありませんが*1、なんせ貧乏旅行ですから、部屋が広くてベッドがふかふかでバスルームが広くてバスタブで体を伸ばせるだけで充分過ぎます。

とうとうはるばるこのために来た、本命の公演のワルキューレです。コンサート形式のワルキューレを2夜に分けて、一日目にThe Madness of an Extraordinary Planという音楽劇と一幕、二日目に二、三幕という変わった構成です。

で、まずおまけの音楽劇が始まるわけですが、これが全く期待してなかったんですが、思いがけずアタリでした。

ワーグナー役の俳優と2人の天使*2役による対話で彼の人生や創作上の要素を表現し、それに合わせて1〜2分の短い音楽が演奏されます。音楽は基本的にリングから採用されていて、BGM的に重ねるわけではなく、交互に演奏と朗読がある形式です。劇はともかくこの演奏がアタリでして、まずマーク・エルダーは和音の構築がうまくて、しかもちょっとクレイジーな私好みの空間作りをする人でした。最初のワルキューレの騎行で度肝を抜かれたんですが、あのワルキューレの騎行を、誰もが早いテンポで来ると期待するあの主旋律を、なんともまったりしたテンポでうねうね展開し、背景にはホーミーの高音部のような音を重ねて演奏するんです。と書くと、まあここの読者は予想が付くかもしれませんが、はっきり言って日本人ウケは全くしないと思います。しかし私にはビンビン来まして、これには全く参りました。Madness!!確かにこれはMadnessです。

それからラインの河底のシーンも凄かった。本当に川底にいて、頭の上を青い冷たい水が流れていくみたいだった。視覚効果は使ってないのに動く水が見えていました。ラインゴールドの鍛冶の音(ちょっとジークフリートのミーメのシーンも混入してたかも)がすごくて、やっぱり真っ赤になった鍛冶打ちの槌が追い立てられるように仕事をしているのが見える感じがしたんですよ。素晴らしい。あと黄昏の最後の最後のモチィーフ(ワルキューレにもちょっと出てくるアレ)とか、もちろん黄昏の入りの和音とか、同じく黄昏のワルキューレロックの目覚めの音楽とか、ギービッヒの陰謀のとことか、葬送とか、どれもこれも本当に短い抜粋なんだけど、全くファンタスティックだった。

先にネタばらししちゃうと、実はオペラ本編ではオケにここまでの効果はなかったので、今回このおまけを付けてくれて、これが聴けて本当に良かったと思いました。実はこのくらい短い抜粋なら、一定レベル以上のオケならこのくらい印象的なことは出来るもんなんですかね?そういうものなのかもしれませんが、今回私に初めて機会を与えてくれたという意味で良かったし、感謝です。またハレ管ですが、たぶんすごくレベルの高いオケというわけではないですね。ソリストの技量にかなりバラつきがあると感じる瞬間も多々ありました。ただ今回の演奏はすごく良かったと思います。この企画の去年の演奏が黄昏で、その録音がグラモフォンアワードを取ったそうで、未聴ですが分かる気がしました。ちなみにその去年の録音はCD買ってきたので、今回の旅の余韻に充分浸った後に聴いてみたいと思っています。なお、今年の分も録音していてCDリリース予定なので、こちらも超楽しみです。


というわけで、思わぬ掘り出し物にほくほくしつつ、いよいよワルキューレ一幕の開始です。序曲の嵐が過ぎる頃に袖からアナセン@ジークムント*3ジークリンデ登場です。余談ですが、アナセンの格好が相変わらずでして、黒いシャツに黒いズボンなのはいいとして、シャツは裾出しだわ*4折り皴はバッチリ付いてるわ腕まくりだわ足元は変なカジュアル靴だわ、本当にこの等身大ぬいぐるみには困ったもんです。私が思うにこれまでに見たことのあるアナセンの格好で一番マシなのは燕尾服だと思うわけですが*5、あのベストの腹部がああなっているのはこういう腹の持ち主のためなのねーとつくづく実感してしまう種類の似合い方なのでした。こういうセンスレス人間のために制服ってあるんですよね。なお、ジークリンデは普通に淡いオレンジのステージドレスなので、益々アンバランスでした。この時点ではそう思ったわけですが、次にフンディングが出てくると黒いタートルネックセーターで出てきたので、フェスティバルだからカジュアル指定だったのかなーと思いました。

パフォーマンスは、いつもこればっかりだけど、感じ過ぎて全然覚えてない。快い光の中にフラッシュアウトしちゃうんですよ。全幕の彼のパフォーマンスとも違っていて、calmcalm、とにかくcalmでした。ただ静かなcalmではなく、嵐の前の静けさ、激しいものを内に秘めつつ、それが抑制された結果としてのcalmです。まるで詩の朗読を聞いているようでした。ちゃんと旋律通りに歌われているのに、詩の朗読みたいな印象なんです。こんなオペラ聴いたことない。

表情もcalmで、トリスタンのときみたいです。コペハンリングや彼のいくつかの映像をご存知の方はむしろ視覚的に賑々しいイメージがあるかと思いますが、今日はcalmです。やはり能を連想させます。表現が能に近づいているのは、最近のアナセン自身の表現の変化なのかもしれません。ああっでも、そんなこと思うと最後期っぽくて切ないかな。全然まだまだ歌えそうですけどね。

録音で馴染みのアナセンのジークムントといえばもちろんコペハンリングなわけですが、あそこでは、見た目は別として(笑)アナセンのロールの中では最も正統派ヒーローっぽい調子でテノールっぽく歌うので*6ついドキドキしてしまうわけですが、Ein starkes ....のとこなんてめちゃ艶っぽくて椅子から転げ落ちそうになるわけですが*7、実はそれもちょっと期待してたわけですが、これは無かったですね。コンサート形式のせいなのか、これが今の表現なのか、コペハン用の役作りだったのか*8・・・それはともかく、また今回も外されてしまいました。


しかし私はいいけど、ここまで来ると聴衆に通じるか果てしなく心配です。その私の心配のさらに上を行くのが本日の人選でして、まずジークリンデが、小鳥がさえずるようなジークリンデです。とても繊細に一音々々を慎重に丁寧にしかしリズミカルに歌うのですが、これは日本でやれば「線が細過ぎる」の一言で片付けられるような細さです。そして、ワーグナーを歌っているとはとても思えないノリというのか、バロックみたいです。もちろん私は大いに気に入りました。なお、この日のジークリンデは数日前に決まった代役で、ワルキューレ達の一人として予定されていた中からの抜擢であり、ジークリンデとしては初役だったそうです。

フンディングも威圧するようなフンディングではなくフンディングなのに繊細なフンディングです。しかし役作りはとっても憎々しげで、なかなかにスマートな銀髪ハンサム風の容貌とも相まって、頭脳派フンディングと言えましょう*9


しかし、マーク・エルダー、突っ走り過ぎです。オペラハウスのひとつもない*10この街で、この路線はラジカル過ぎます。いや、むしろオペラハウスがないからこそ可能なのか?昨年の黄昏が高い評価を受けたからこそ思い切ったことが出来たというのもあるかもしれません。

実はこのワルキューレの人選が決まったのは昨年の9月の上海公演の間のことでして、少なくともアナセンの元にその報せが来たのはそのタイミングで、そのときに私は丁度居合わせたわけですが、そのときはこの公演を聴くことになるとは思ってもみませんでしたから、人生とは不思議なものです。

そんなこんなで、非常に静的な歌手3人に支えられた、朗読劇のような実に濃密な時間でした。そう、この日を一言で言うなら「濃密」です!そして、このオペラにおける「詩」については大いに考えさせられましたが、これについては、改めてエントリ起こしたいと思います。

最後に、この日一幕だけで終わったというのは、イレギュラーですがなんとも効果的でして、ここで時間がとれたことが、私にとっては、とても幸せだったんです。そこで時間を止めてしまいたい瞬間てありませんか。私にとっては、この日のここがそういうポイントでした。行くまでは、どうせなら二回観たいとか不満だったわけですが、今はこの構成に感謝しています。

Wagner's Die Walküre - The Madness of an Extraordinary Plan and Act I
Manchester International Festival

Sir Mark Elder conductor
Hallé Orchestra

The Madness of an Extraordinary Plan:
Gerard McBurney writer
Neil Bartlett director
Chris Davey lighting designer
Roger Allam Richard Wagner
Deborah Findlay chorus
Sara Kestelman chorus

Die Walküre Act I:
Stig Andersen Siegmund
Yvonne Howard Sieglinde
Clive Bayley Hunding

*1:そもそもそんなホテルに泊まった経験はないが。

*2:だと思う、とにかく人間でないもの

*3:普段カタカナでこう書いてるととっさの時に混乱してこの通り発音してしまうので、シグムントと書きたい今日この頃。

*4:でもアナセンがジャケットを脱いだ状態でシャツの裾を入れているのを見たことがないので、ジャケットを着ない時点で裾出し決定なんだと思う。ちなみにシャツの裾をパンツ・イン出来ない理由は腹が顕になってすごいことになるから(笑)。

*5:その他の格好があまりにあんまりなので、相対的にそれが一番マシなのである。

*6:テノールっぽく歌うことがめちゃ珍しい変なテノールです。私に言わせると、アナセンは、テノールではなくアナセンという独自ジャンルなのです!

*7:しかし、それを期待してこの箇所だけ抽出して聴いても全然そうは感じないと思いますが、つまり分かりやすく極端にそうなわけでは全然なくて、それ以外のところがものすごく抑制されているから、その状態に馴染んでいると生々しいものがちょっと出てきてドキドキするという種類の表現です。うーん、チラリズム

*8:実はこれが一番正解に近いと思ってたりする。

*9:ですが、あまりにも馴染み過ぎてしまったのか、ここは粗野だけどどこかユーモラスな田舎者のミリン・フンディングが恋しくなるのでした。つーか私は彼のフンディングが好き過ぎます。彼のフンディングとファーゾルトはあの舌足らずが絶妙過ぎます。おっと、またコペハントークになってしまいました。

*10:オペラハウスという名のホールはあるのですが、今はポピュラーミュージックがメインのようです。