ワルキューレ2日目@マンチェスター

この日記は、10月に入ってから思い出しながら書いたものです。

さてずいぶん間が空いてしまいましたが、マンチェスターワルキューレの2日目のレポです。1日目はこちら。この日はマンチェスター・インターナショナル・フェスティバルというイベントの一環でマンチェスターをホームにしているハレ菅と首席指揮者のマーク・エルダーが、ソリストに国際的キャストを迎えて、コンサート形式のワルキューレを2日に分けて演奏するという趣向です。このシリーズは昨年の黄昏に続いて2年目で、前回が高い評価を受けた関係で、地元の観客に混じってこれを目当てに国境を超えて訪れたワグネリアンもいるといった状況でした。

さて指揮者が登場すると、そのまま音楽に入らず挨拶です。チケット購入者には事前に連絡が来ていたジークリンデとワルキューレの一人の玉突き人事と、本日ヴォータンを歌うエギス・シリンズが風邪を引いて歌うことへの断りです。「・・・不幸にも、これが彼のマンチェスターのへの初めての訪問であった」で会場から笑いがとれるところに、マンチェスター人のこの地の気候に対する自虐的なセンスを感じました。


さて二幕がはじまると、その風邪のヴォータンと、スーザン・ブロックのブリュンヒルデです。スーザン・ブロックは実にいいですねえ。彼女の声は、フォーカスを作るんです。声質としては、そんなに詰まってもいない感じで、ふわふわした要素を含む金の声です。この金の声というのは私の勝手な造語で、オリンピックのメダルみたいにランクを表すわけじゃなくて、文字通りの意味で、音を聴いて浮かぶイメージが金色だということです。金色って、あれじゃないですか、他のマットな色みたいにはっきりした色相上の位置があって、この色ってポジションがあるわけじゃなくて、光沢という、見る角度によって変わってしまう要素こそが本質で、ぼんやり見てるとあるのに、寄って目を凝らして詳しく見ようとするとはっきりしなくなるような、そういう性質を含むじゃないですか。そこが、そんな詰まっている感じがしないのにフォーカスを作る声質に共通なんです。光の筋が目の前を通ってて、周辺にも光を投げかけていて、その境界はほわほわしてはっきりしないのに中心には確実にフォーカスを作るという。アナセン達はラブリーな声って言ってました。実は、アナセンの声も金の声です。この種類の声は、どっちかというと減衰しやすい要素を含む声だと思うのですが、録音で聴くよりも減衰込みで会場で聴く方が、より金の声的な性格を強く感じられると思います。

また、彼女の声と歌い方は、ちょっとおきゃんで、ひゅんひゅんしてるというのか、空を駆けるワルキューレにぴったりな個性があります。細かいところも丁寧で、すごく良かったです。実はBBCの録音をもう聴いてしまったのですが、記憶よりもさらに細部がしっかりしてて、特にワルキューレの告別の場面みたいな、じっくり溜めをとってテンションを保ちつつ絞り出すような性格の箇所に神経が入ってて感心しました。ものをじっくり味わうときに使う「舌の上で転がす」という表現がありますが、「耳の上で転がす」に耐えるクオリティでした。

そうそう、この日の服装は光る素材のイエロー系統のハーフコートに黒いパンツという出で立ちで、コペハンリングのワルキューレみたいでした。


一方ヴォータンは、風邪だから仕方ないとはいえ、なんだか間延びした声で・・・ま、声は本調子でないからいいんですが、表現も、分かってるような分かってないような。つまり、それっぽく歌ってるだけ状態。勝手にこいつは分かってるとか分かってないとか言っててお前何様って感じですが(<分かってないのはお前の方だ)、だって感じるんだもの。分かってない人は基本平坦で、たまにあるすごく分かりやすい台詞だけ(例えば、「悲しい!悲しい!」とか、その手の箇所)極端にそれっぽくする。作曲家が何故それぞれの台詞にその旋律を付けてるのか分かってない感じ。そういう人は多数派なので、それはそれでひとつのスタイルでありスタンダードであり私とは趣味が合わないだけなのかもしれません。それで喜ぶ客はいっぱいいるし、私の方がおかしいんでしょう。というわけで、私の趣味ではありませんでした。別にこの人に限った話じゃなくて、すんごくよくあることなので、たまたまこの人のところで書いてしまって申し訳ないくらいだが、しかしこんだけの主役級なら言及されても仕方無いでしょう。ちなみに、この日は2幕と3幕の間にアナセン達に会いに行ったのですが、その話は別の機会にするとして、イングリッドがこのヴォータンにすごい憤慨していた。これ書くとまずいかな。ま、日本語だから大丈夫でしょう。詳しく聞かなかったが、声楽家が憤慨するんだから、何かあるのかもしれない。私の感じたようなことなのか、それとももっと別の声楽上のテクニック的なことなのか。・・・すいません、別にこの演奏に限ったことじゃないことをダラダラ書き過ぎました。


そんで、後は、フリッカが良かった。声はものすごく個性的というわけではなくてどう表現したらいいか分からない感じだけど、しっかりしていた。表現が丁寧で、メリハリがあって様々なレベルで適切な発声出来ているのが素人耳にも明らかで、ちゃんとテンションがあった。恐いフリッカというよりはしっかりしたフリッカという感じ。


さて場面が変ってジークムントとジークリンデの逃避行。私がオペラに求めるものは(ワーグナーのオペラに求めるものは、かもしれない)、上で書いたようなリブレットと旋律が描くものをちゃんと一体化したものとして理解したうえで表現されるドラマなんだけど、これが私の知ってる全シンガー中で一番感じるのがアナセン。でも彼の場合は、不思議なことに、足りてて、さらにこっちが思いもよらないプラスαがある。彼を聴いてると、発見するものがいっぱいある。足りないと足りてるの間に、なんでこんなに距離があるのか。

つまり、オペラの一瞬一瞬に、すごく説得力があるってことなんですよ。そして、自分の人生をそこに発見してしまったり、自分自身の潜在的な心理に気づかされたり、創造性が刺激されたり、何かこれまで知らなかったちょっと表現出来ない素敵なものを受け取って、次の日の朝目覚めると幸福感のヴェールに包まれていたりするんです。うーん、なんか危ないですね。どう説明していいか分からないや。

全然普通の公演レポっぽいことが書けていませんが、だって普通の体験をしていないんだもの。そうだなあ、すごくベタなとこで言うと、Schwester! Geliebte! のとことか、良かったですよー。でもアナセンのアナセンたる所以は、そういう一点のことじゃなくて、そういう瞬間でずっと埋め尽くされていることにあるから、ある箇所を取り上げて、ここがこうだと書くことが空々しいような、そんな気持ちです。そういうことを書く代わりに、ドラマから自分が受け取ったものを書くことが、だからそれは全然音楽の話でもオペラの話でもなくて人生について考えたことみたいな方向の話になってしまうんですが、それが一番しっくり来るんです。今回のパフォーマンスから受け取ったものは、日を改めて書きます。

ジークリンデは一日目の印象がなんせ小鳥ですから、二幕のシチュはハマることハマること。このシーンとしては控え目な表現だったと思いますが、私は女性の強い感情の表出シーンって苦手なので、現実生活でどうしていいか分かんないからそれを思い出して苦手なのと、なんだか呆気にとられちゃって距離が出来ちゃって感情移入出来ないので苦手なんですが、そういうわけでそうなりがちなシーンでこういう控えめな表現て好きです。その方が現実味があるんです(私にとっては)。そういえば、録音聴き直して思いましたが、この人も、ライブでは録音より軽く聴こえる声質ですね。

ワルキューレの告別の場面はすごいテンションで終わって、最後のジークムントとフンディングの闘いの部分は、二人が2階バルコニーの左右から登場して歌われました。だからここだけマイクに近い高さなんです。そんな音だったでしょう?>録音聴いた人


さて長い休憩を挟んで三幕。休憩中の話はまた後で書きます*1。三幕といえばワルキューレの騎行ですが・・・ヤだ、あのマンマじゃないの。さすがに本編ではやらないだろうと思ってたのに、今日もヤケにまったりしたテンポのハイホーにホーミーですよ。ところがこの変なワルキューレの騎行が妙にしっくり来ましてねえ、本当に瞼の裏に荒涼とした岩山をひゅんひゅんと飛ぶワルキューレ達が浮かぶんです。他の演奏はここ格好良くやり過ぎなのかも、大体あれじゃ馬で大地を疾走してるイメージだもんね、たしかに騎行って書いてあるけどさ、本当はこういう風景なのかも、という発見がありました。もっともこれ、日本でやったらやっぱしブーイングか、礼儀正しい日本人はちゃんと拍手して帰ってきて、ブログなんかでさっぱり良くなかったと書かれる種類の演奏じゃないかと思います(苦笑)。

そんなわけで幸先良くはじまったんですが、ヴォータンが出てきたら、なんか気分は盛り下がってしまって、ですねえ。なんかこのシーンに欲しいテンションと波が無かったんですよ。あ、念のため書いとくと、観客は大いに満足したみたいなので、一般的には悪いパフォーマンスでは無かったと思うんです。私と合わなかっただけです*2。こういうこともありますよね。

まあこの日3幕は私的にはオマケみたいなもんで2幕終わった瞬間に帰ってもいい気分だったので、心がけも良くなかったのでありましょう。尻切れトンボな文章ですが、それが正直な気持ちだったので、文章もその気持ちを反映しているということで、これで終わります。

16 July 2011
The Bridgewater Hall
Manchester International Festival 2011
Wagner: Die Walkure - Act 2 & 3

Siegmund ..... Stig Andersen
Sieglinde ..... Yvonne Howard
Hunding ..... Clive Bayley
Wotan ..... Egils Silins
Brunnhilde ..... Susan Bullock
Fricka ..... Susan Bickley
Gerhilde ..... Miranda Keys
Ortlinde ..... Elaine McKrill
Waltraute ..... Sarah Castle
Schwertleite ..... Linda Finnie
Helmwige ..... Katherine Broderick
Siegrune ..... Alison Kettlewell
Grimgerde ..... Ceri Williams
Rossweisse ..... Leah-Marian Jones
The Halle
Sir Mark Elder (conductor)

この日のパフォーマンス以外の日記はこちら。
http://d.hatena.ne.jp/starboard/20111224
http://d.hatena.ne.jp/starboard/20111225

*1:早くこれを書きたくて、この日のレポを書いてると言っても過言ではない。

*2:私は良いと思った人には強い評価を出す一方で、そこそこの人にすごく冷淡なんですよね。ピンと来なかったの一言で終わらせたりして。そういう、とりわけ良かったわけではないがそれなりみたいなポジションの人に対して、大抵の人は誉めて終わるもんであって、あえてピンと来なかったなどと言い出したりはしない、まさによっぽど悪くないと悪いと言わないのであって、そこは食い違ってるのだろうと思います。