喝采とブーイングの間で

みなさん、満場のブーイングって体験したことありますか?私はあります。そして、それが、演出でも主催者に対するものでもなく、全幕歌いきった歌手に対するものだったら・・・?


さて、本日は上海にリングを観に行ってから、はじめてアナセンのパフォーマンスに触れてから、ちょうど一年です。この日に、今まで言えなかったことを吐き出させてください。上海のリングは結局レポ完成してないので、この期に総評みたいなことも書こうと思います。

あ、大切なこと。これから書くことは「音楽体験」のことでありまして、音楽のことじゃないんですよ。

さて、すっかり忘れてしまったと思うので復習ですが、2010年の9月にstarboardは上海に行ってケルン歌劇場の来中公演のリングを観たのでありました。これは上海万博のドイツからの企画の一環として用意されたもので、9月16〜19日と21〜24日に2サイクルのリングを連続上演するという企画でした。この公演に行った目的というのは、アナセンがヤング・ジークフリートを歌うからで、そして、私はアナセンのジークフリートを2回聴きたいがために、両方のサイクルのジークフリートを観ることにしていて、前後の移動日にもオペラを観ようと欲張った結果、1サイクルめのライン以外の全7公演のチケットを揃えていたのでありました*1 *2

さらに復習したい人のために、去年の書きかけのレポです。

そしてお目当てのジークフリート1回目を観て、すっかり満足した私は、満足したというより3幕のデュエットにすっかり入り込んでしまって時間も空間も忘れ去っていたというのが正確なところですが、終幕時に全く予期していなかった出来事に遭遇したのでした。

3幕は見事に終わりました。早過ぎず遅過ぎずのタイミングでブラヴォの声も上がりました。実は私も出しました。つい無意識に出ちゃったんです。だってそれが自然だったから。そこまでは普通に終わったのですが、なんとカーテンコールでアナセンが登場したときに、大ブーイングになったんですよ。満場のブーイングというものがあるなら、あれがそうだと思います。録音なんかで聞けるスカラ座のブーイングなんて全然可愛いものだと思います。

本気で全く予期出来なかったので、だって直前の3幕が、ブリュンヒルデ役も恵まれていたこともあって素晴らしい出来で終わったので、はじめて生の舞台で、舞台で動いている人物達が自分の隣にもいるリアルな人間の生であるような、そういうリアリティのある舞台に触れたので、その鮮烈さにすっかり我を忘れていたので、何が起こったのか全然分からなかったんです。

実は私は、この日のことをずっと予感して、おそれていました。まるでトリスタンのように、幼い頃からずっと予感し、おそれていました。私の進路選択、職業選択自体が、このためになされたと言ってもいいくらいです。なにかを程々にうまくやった(と自分で思う)とき、周囲はそれを支持してくれます。でも程々ですから、自分の中では不満だらけです。そして、自分で不満がないくらいうまく行ったら、ブーイングなのです。それが何なのかは、自分では分かりません。世の中とは、私にとっては「そういうもの」なのです。

私は、自分の主観に自信がないのです。どこから、程々を外れて他人を怒らせるのか分からないので、そもそも、最初から自分の感覚を信用していないのです。理系の職業を選んだのも、科学的に証明出来る事実やちゃんと動く物を作ることで、主観の問題から逃れるためです*3

この日の出来事というのは、私にとっては、おそれていた悪夢が遂に現実になったということでした。この経験をしてから、それこそ311地震で内面の問題なんていう生命に全く関係ない些細な悩みが吹っ飛ぶまで、夜中にうなされて汗びっしょりで目覚める日々を半年繰り返してました。そして、アナセンは強いなあと思いました。あの人はずっとあれを貫いて来たのだから。私だったら最初から逃げているような問題を。私がアナセンに感じている感情は、そういう種類の、ある種のソウルメイトというようなものなんだと思います。


私の個人史はこれくらいにして、パフォーマンスそのもののことを書きましょう。何が不満だったかというと声量が小さいということらしいのですが、たしかに一幕ではミーメより小さかった。私も一幕でブーイングが出たらそこまで驚かなかったと思う*4。正直、公演前の印象として、歌唱の内容があんなに良いんだから、よっぽどの欠点がないと今の位置付けは納得出来ないと思ってて、一幕で登場したときの声量は、逆の意味で納得出来るものでした。ただ、小さいと言っても極端に小さいわけではなく、どんな公演だってこのくらいの人いるけどねえ、という大きさでした。それが主役だと駄目だとか、ジークフリートだと駄目だということかもしれませんが。

ところが、こっから先が実に不思議なのですが、幕が進むに従って調子が上がり、私の耳によると、3幕の2場ではヴォータンと完全に拮抗していたし、ヴォータンは元々歌唱が平坦で弱いと思っていたので問題外だと思ったし、3場のデュエットでは少しばかり上回ってさえいて、特に最後の最後で二人の声が被さるところは、アナセンの声は大抵こういう場面では突き抜けないのですが、そのときは突き抜けて聴こえていて、だから最後の出来事は全く予想外だったんです。


一応理由も思うところがあるので書いておきます。こうなった理由のひとつには、上海大劇場の音響の問題があると思います。帰国直後に書きましたがこの劇場は音響が非常に悪くて、舞台の音が、他の劇場のようには響かないんです。歌手がプロセニアムの手前まで来ると他の劇場のような音になりますから、プロセニアムの中では舞台袖や上下に音が散ってしまうようです。幕間に聞いたところ、劇場のスタッフも同様に認識しているそうで、元々バレエや京劇用の舞台だから袖が広くてオペラには向かないということでした。しかも私の印象では、たぶん周波数に歪みが出ていて、そのせいで聴き難くなっている可能性があると思いました。それで、アナセンの声は非常に散りやすいのです。これまでに6箇所の会場でアナセンの公演を聴いたことがありますが、この人の声が録音のように聴こえるのはDKTで聴くときくらいで、それ以外の会場では、声質を重くする成分が減衰して、とても軽く、ソフトに、まるで若いリリックソプラノのような方向性の音として聴こえるのです。おそらくマイクを設置する舞台の直上の配置で聴けば、本来のあの音がしてるんだと思います。間近で歌ってもらうときも重いです。それで、そういう声質なので、元々散乱しやすい会場で、しかも2階や3階ではどう聴こえたか分からないです。ブーイングされても仕方無い音だったのかもしれません。

別に音響のせいにするつもりではなく、音響に問題があってもなんとかなる声質・技術であることもオペラ歌手の能力のうちでしょうし、それは否定する気はないです。ただ、私と他の人の評価がズレる理由として挙げときます。アナセンの場合、大抵の会場で散ってるので、声を響かせる能力として考えると弱いのも事実だと思います。

もうひとつ思い当たることがあって、そっちのが重症で気分が重い理由なんですが・・・(明日に続く)

*1:来日公演じゃとてもそんなこと出来ないけど、来中公演だからチケットはヨーロッパの歌劇場のホーム公演並だったし。

*2:ここでふと思う。その価格で引越し公演が成立するなら、あの来日公演の高額なチケット代は何!?・・・万博の一部だから補助金込みとしても。

*3:そもそも何を作るのか、その過程をどう説明するかで、実は主観から逃れられない世界ですが、最後の最後のところで、科学的事実や出来上がった物が証明してくれるのは、ものは言い様の世界より随分気が楽です。

*4:各幕後のカーテンコールはなかったので、それは無かった。