ラ・ファヴォリータ@みつなかオペラ

いやあ。これは良かったです!!文句無しに良かった!関西オペラ、レベル高っ!並河さんのレオノーラ目当てに行った公演でしたが、総合でここまでいいとは全く予想してなかった!嬉しい期待外れでした!!・・・今日はびっくりマークがいっぱい飛んでるなあ。びっくりマークの数に私の興奮を感じて頂ければ嬉しいです。

作品紹介とあらすじ/ラ・ファヴォリータ

まず作品そのものがマイナーだと思うので、簡単な紹介を。ラ・ファヴォリータは邦題としては、愛人と寵妃の両方の訳があるようですが、内容的には寵妃がしっくり来ます。今回もチラシ等では愛人、パンフの説明等では寵妃が使われていて、寵妃がより正確というか、よりニュアンスを伝えるところだけど、広く一般向けには馴染みの薄いこの言葉よりは一般的な愛人を使おうといったところでしょうか。

ストーリーは国王アルフォンゾの寵妃であるレオノーラと修道士フェルナンドの愛憎の物語。このフェルナンドの父親が、修道院長にしてこの国の最高司祭であり、娘を王の正妻(オペラには直接は登場せず)として嫁がせているという摂関坊主のバルダッサーレ。実は修道院が騎士団を兼ねるという時代の物語。

(一幕)修道院の祈りの合唱から幕を開け、フェルナンドがとある女性にぞっこんなことを修道院長の父親に告白。窘められるが言うことを聞かず破門される(一場)。破門されてレオノーラの住まいに行くと(ここでお付きの女官イネスのアリア有)、彼女は彼の立身出世を願うと言って別れを告げる。そこに王からお呼びがかかり、身分の違いを知った彼は、彼女の立場は知らないままに、出世して彼女に釣り合う男になるぞ!と決心して幕(二場)。

(二幕)ご都合主義によりフェルナンドはさっそく功を立て、王の軍隊が大勝利。王はご機嫌で寵妃への愛を歌い上げる。正妻の父にして最高司祭のバルダッサーレからの怒りが伝えられるが、全く意に介さず。その寵妃であるレオノーラは、騙されて日陰者の愛人とされたことへの不満を訴える。ここで戦勝の祝いのバレエ(グランドオペラのお約束)。祝宴が一段落したところで、王の側近ガスパロがレオノーラへの愛を綴った手紙を持って登場して彼女の不実が発覚する。王が嫉妬に狂っているところに、騎士団を伴った摂関坊主登場。今度は王の不倫が糾弾対象になり、レオノーラは益々ピンチに。

(三幕)一方フェルナンドは何も知らないまま宮殿に戻って来た。王に謁見すると、褒美を自ら指定するように言われたので、レオノーラとの結婚を願い出る。例の手紙の主がフェルナンドであることを察した王は腹いせにこの結婚を承諾する。レオノーラは悩み、お付きの女官イネスに彼への告白をことづけるが、イネスは捕えられてしまって伝わらず、フェルナンドは結局何も知らないまま彼女と結婚する。貴族達はこの結婚が気に入らずフェルナンドに難癖を付け、受けて立ったフェルナンドと決闘にならんとするところに再び摂関坊主登場(この坊主はいつもタイミングがよい)。やっとフェルナンドも事態を理解する。恥と怒りの感情からレオノーラを突き返し、賜物の勲章や剣、領地も突き返して去る。

(四幕)舞台は一幕の修道院。一同は、王の不実に耐えかね失意のままに世を去った正妻(フェルナンドの姉)の死に祈りを捧げている。摂関坊主と弟も嘆き悲しむが、フェルナンドは独りになると複雑な感情を吐露する。皆が立ち去った後に厳しい旅路の果てにやっとここに辿り着いたレオノーラが現れる。フェルナンドへの懺悔だけが目的だった。最初は怒りのために冷たくするフェルナンドだが、オペラティックな会話を経て、彼女を赦す。しかし修道院から聞こえる祈りの声は、姉の死を悼み、汚れた女レオノーラの運命を呪うものだった。厳しい旅にすっかり弱っていたレオノーラは、フェルナンドの理解を胸に、穏やかな心で死んで行くのだった。

台本は細かいところで現代の感覚からは納得行かないところもあるものの*1、かなりドラマティックで登場人物間の関係もすっきりしていて、作品としてはすごくポテンシャルを感じます。アリアも音楽も分かりやすくよく出来ていて、少しだけ改変して版を改めれば、カルメンや椿姫やドン・カルロ級の、上演回数の多い定番オペラの仲間入りする可能性すら感じます*2

ストーリーだけ聞くとそんなにも似ていないような気がしますが、音楽と視覚が着くとドン・カルロとの共通点が多くて*3、まず修道院から始まり修道院で終わるという構成が似ています。王に命令すら可能な修道院長という存在も、主役テノールに与えられた直情的な性格と音楽も、そしてなにより合唱や重唱の使い方がとても似ています。修道院での導入、女の園の箸休めアリア、逢引と別れ、大勢の中で孤立する主人公を重厚なこれでもかというほどの合唱と重唱の嵐によって描く点、転換して静となる終幕など、いや文字で書くと他のオペラにもみられる常套手段のようにしか書けませんが、実際に音楽を聴いてみると共通性がよく分かると思います。

感想編

まず演出ですが、舞台装置が、このサイズの会場ながら本格的なセンスで、これは見事でした。一幕の修道院のシーンなど、幕が上がった瞬間にかなり驚いてしまいました。舞台装置はむしろ少なく、修道院のシーンに使う鎖のぶら下がった十字と、宮殿シーンに使う装飾性の高い金属製の衝立、後は全幕に共通の天井からぶら下がってアーチ状を作っている板くらいなんですが、これらと照明を組合せて、市民オペラとは思えない密度の空間を作っていました。

衣装はすこぶるオーソドックスで、王宮にいる筈の貴族達の衣装が質素過ぎて庶民ぽいものの、主役級や修道士などは納得出来るものでした。歌手の動きも少ないながら、まあドラマに沿った真っ当なもの*4

あと全く予想外なことにちゃんとしたバレエのあるグランド・オペラだった。まさか今日そんなものが見れるとは思っていなかったので、吃驚しました(チケット代5千円だったし)。


さて歌手編。まず何よりも良かったのが、主役フェルナンド役の藤田さん。はじめて聴いたのですが、どこにこんないい人を隠しておいたんですか。すっごい当たりじゃないですか。声が若々しくて瑞々しくて、日本人テノールにありがちなカラーではありますが、その範囲内ではこれ以上うまく収まることはないだろうというポイントにハマっていて、それに、よく伸びるだけでなく、張るところも、そこから絞って着地させるところも見事。そもそも張りっ放しで振り絞るように放って終わらないってだけで日本人テノールとしてはレアなのに、その着地の仕方がフリットリみたいな方向性にうまい*5。必要なシーンでは細やかなニュアンスも込められて、このブログの注目ポイント的にもグッド。ここまで行っちゃうと欲が出てくるもんで、もんのすごい超贅沢をいえば、声を張るシーンと繊細なニュアンスを込めるシーンがきっぱり別れてて、自然な同居になっていないことですが、それ出来る人は歴代の有名歌手でも滅多にいないから、ただの贅沢でした。そんだけポテンシャルを感じたということで。是非そっち方向に進化して頂きたいところですが、多くの聴衆にはずっと張りっ放しの方がウケがいいからなあ、と複雑な気分の今日この頃でした。


本命の並河さん。この方の全幕を聴ける日を、私はこの半年というもの、それはそれは楽しみにしていたのです。さて一幕の恋人同士のシーンを聴いたときは、ちと、アレ?という感じがありました。相変わらず輪郭のはっきりした音だし、私好みなのですが、なんというか、音楽に声質が合っていない違和感です。ところが二幕以降は実にしっくり来るんですよ。この役は充実した低音を基本にしながらも高音が要求される難役とのことで、それが上演を稀にしている一因かと思いますが、そういうわけで、この役は高音の出るメゾが歌うことが多いそうです。低音の得意なソプラノである並河さんは、比較的ソプラノチックな一幕よりメゾ的な二幕以降がよく合っていました。ソプラノにしては太くてドラマティックな表現が得意で、美声重視の観客からは厳しい声もあるようですが、私はすごく好きです。それに今回レオノーラで聴いて、アイーダのときとも全然違うことにも感心しました。この役は三幕までも難しいのですが(声楽的なことは私は分かりませんが、それとは別に、ドラマ的に説得力を持たせるのが難しい役だと思います)四幕が本当に難しくて、この部分でオペラ全体の説得力が決まってしまうかと思うので、彼女以外の人だったら幕切れがもっと遠い感じで、ドラマじゃなくてオペラが終わった的な距離感になったのではないかと思います。

もうひとつ強く思ったことがあって、前回までは全然思わなかったんですが、今回並河さんのレオノーラを聴いてると、ある人を思い出して仕方ないのです。その人とは・・・日本ではワーグナー歌いとして知られているテオリン姫でした。彼女のエリザベッタを思い出して仕方無いのです。ストリクトなイタオペファンからはレパートリー違いという評価も無くは無いテオリン姫のヴェルディですが、あの独特のドラマティコがお好きな方は、是非並河さん聴いて頂きたいです。

並河さんの最大の特徴に、声が自分のところに真っ直ぐスコーンと届く感じがするというのがあると思うのですが、重唱のところでそれが際立ってて、ドン・カルロの宗教裁判の場並の厚い厚い重唱*6があって、そこでも一人だけ突き抜けてて、決して音がバカでかいわけではなく声質の違いでスコーンと届くんです。この感じはテオリン姫のあのシーンだと思ってしまいました。

なんかねえ、前出の藤田さん(フェルナンド)も聴いてると「この人にカルロを歌って欲しい」って感じだし、レオノーラはテオリン姫のエリザベッタだし、最初に書いたように作品全体を通して似てるし、今日はドン・カルロの亡霊がずっと出てました。そんな鑑賞でした。


摂関坊主・・・もとい修道院長で父親のバルダッサーレ役の片桐さんですが、私この方結構好きなんですが、今日はちと平坦寄りだったかな。主役二人が良過ぎたからね、今日は。

王役の藤村さんも立派だと思ったんだけど、もう一声ニュアンスが欲しいところ。普段の公演だったら誉めて終わるレベルですが、今日は全体の水準が高かったので、期待を込めて。

小役のガスパロが結構良くて、声もよく出てて、若々しくインパクト大で、ちと声質がフェルナンドに似過ぎてましたが(これは本人のせいではない)、今後が期待出来ると思いました。

あとレオノーラのお付きのイネスは、今日の面子の中では一番声量が控え目かなあと思いましたが、たおやかな感じの個性が良かったです。

オケ・合唱とも本日は立派だったと思います。色んなことの相乗効果もあって、ドラマがぐいぐい進んでいました。

最後にホールのことですが、みつなかホールは定員500強、今日はオケピ使用だから400席強なので、このサイズもあって、歌手の声でストレス無く満たされて、実に聴きやすいと思いました。このサイズのホールとしては天井が高くて、内装のせいもあって教会チックなホールでした。小さいホールでもオケと声のバランスによってはすごく聴き難くなることもあるし、小さければ必ずこうなるわけではありません*7。オペラに向いた会場だと思いました。贅沢ですけどね。

みつなかオペラは今回で20回目だそうで、ダブルキャストで明日も開催されます。来年も同時期にルチアが企画されています。こんな贅沢企画、見逃しちゃダメですよ。

http://www.mitsunaka-bunka.jp/event1_page.php?eid=00061
第20回みつなかオペラ 歌劇「ラ・ファヴォリータ」全4幕
G.ドニゼッティ<オペラ・セリア>シリーズ
〜そしてヴェルディに至る悲歌劇の世界〜?

開催日:2011年9月24日(土)14:00開演
会場:みつなかホール

指揮:牧村 邦彦
演出:井原 広樹
合唱指揮:岩城 拓也
振付:馬場美智子
装置:アントニオ・マストロマッテイ ANTONIO MASTROMATTEI
照 明:原中 治美
舞台監督:青木 一雄
演出助手:唐谷 裕子
エストロ・コッラボラトーレ:高粼 三千

アルフォンゾ11世:藤村 匡人
レオノーラ:並河 寿美
フェルナンド:藤田 卓也
バルダッサーレ:片桐 直樹
ドン・ガスパロ:小林 峻
イネス:小梶 史絵

*1:例えば、あんなに怒っていたフェルナンドが会話だけで彼女への愛を取り戻すとか。今の感覚だと、ここで決定的な誤解が解けるといった伏線が欲しいところ。

*2:が、発表直後の(現代から見たら既に歴史化し、慣習化している)改変ならともかく、現代でリブレットから手を入れる改変はとても認められないでしょうね。直後と事情は一緒だと思うんですけどね。作曲家の時代から遠くなると絶対視しますからね。

*3:この作品が先行らしい。

*4:普段特異的に演劇的なオペラを見慣れているので不満がなくはないですが、国際標準的には上出来でしょう。大体あそこみたいにくるくる動いてたら、殆どの歌手は歌が息切れしちゃうって。

*5:テノールの説明にソプラノを出すなよ。いやテノール苦手なんで、あんまバリエーション知らないんで勘弁してください。テノールで着地がうまい人といえば何人か思い浮かびますが、なんだかそちらよりフリットリを思い出す芸風だったんですよ。

*6:参加人数だけでなくそれぞれの密度が高い感じ?

*7:今日の歌手で二千席クラスのホールで聴いたことのある経験もありますが、意外と声量の印象は変わらないもんです。