ロベルト・デヴェリュー@バイエルン国立歌劇場

この公演は、グルベローヴァが圧巻でしたねえ。さすがです。ただ、他のキャストと差がついちゃって、公演全体としてはイマイチ入り込めなかったという、いささか残念な結果となってしまった面も。オペラって難しいですね。

さて、そのグルベローヴァですが、なんというか・・・自在ですよね。鮮烈な印象だけが残ってて、どんな声出してたのか全く覚えてないです(←褒めております)。強弱自在、緩急自在、すごく広いレンジの中で、その時々に最適な音を自在に出せる小気味良さというものを感じました。また、こんな大物歌手相手にいまさらですが、全ての箇所が、そうあるべきように適切に歌われていると感じました。よくこのブログで書いてるように私のオペラの鑑賞ポイントは楽譜と意味の合致重視で、かなりの有名歌手であっても、理解が足りなくて分かったような分からないような表現しか出来ていないと感じがちなのですが(←超生意気)、本日は、全く、一ミリも、不満がありませんでした。


ただ、それが、他のキャストや演出なども含めての満足度につながらないのがオペラの難しいところです。今日のは演出がブーでしたね。舞台を現代に置き換えて、エリザベッタは女社長という読み替え演出なのですが、浅い、浅過ぎる。3幕が特に好き嫌いの分かれるところでしょうが、それ以前のところから気になって気になって仕方なくてですね。まずこの話は、血筋で統治者が決まる王家に生まれた女の恋であるから、そして王族ってのは血筋を残すことが主要なお仕事でありその色恋沙汰はパブリックでもある、そういう前提だから成立するし悲劇なのであって、これを自分の自由意志で就く現代社会の女社長の話にしてしまったら、ただのしょうもない話になってしまうわけです。女社長が自分のお気に入りのツバメの処遇を色恋感情で持って判断しようとするのもナンセンスなら、それを関係者一同が注視してる風景もグロテスクです*1 *2

で、3幕の死刑前のリンチシーンとかは上に描いたことに比べれば些細なことだと思うけど、そんでも一応書いとくと、やっぱりドラマ上の必然性がないうえに不快なだけ*3。あとアリアを目隠しで歌わせるのはやめれ。サラはキャリアウーマンなのか家で刺繍してる女なのかどっちかにしとけ。演出に対する文句は以上*4


んで演奏は、うーむ、あんま気になることはなかったがそれ以上でもなかった。合唱はちと平坦な気がした(普段馴染んでるものが悪いのであって、芸風の違いだろう)。

とにかくグルベローヴァがすごいの一言だった。ちっとワンマンな印象もあったが、これは他が特別悪いわけでもなくて、やっぱ差があるからなんだろうなあ。特に3幕の最後のとこの表現などは、かなり胸に迫ってきました。

他のキャストについては、サラは私はあんまピンと来る瞬間がなかった。公爵は、これは好き嫌いの範疇の話だけど、なんだか気持ちのいいリズムがあって前半のいい人してるとこはすごく合ってると思ったけど、怒って以降は迫力不足な面も。デヴェリューは、これは演出に責任があるんだろうけど、いかにもツバメツバメしてて、それが嫌。声はヘニング=ヤンセンから癖を抜いた感じで*5、ちと甘い。あとはたぶんセシル卿の人(女王にスカーフを渡す役の人)がインパクトがあって良かった。

2011年9月27日(火)18:30〜 東京文化会館
バイエルン国立歌劇場来日公演「ロベルト・デヴェリュー」
指揮:フリードリッヒ・ハイダー
演出:クリストフ・ロイ
出演者:エリザベッタ:エディタ・グルベローヴァ
ロベルト・デヴェリュー:アレクセイ・ドルゴフ
ノッティンガム公爵:デヴィッド・チェッコーニ
サラ:ソニア・ガナッシ
セシル卿:フランチェスコ・ペトロッツィ
グアルティエロ・ローリー卿:スティーヴン・ヒュームズ
ロベルトの召使:ニコライ・ボルチェフ

追記/演出について

本文中に書いた演出の件ですが、9/29にNHKホールで配布してたバイエルン歌劇場の2011/2012シーズンパンフレット(日本語版)を読んだところ、注釈に書いてたこれがアタリみたいです。

わたしゃこの演出家が極端なミソジニストで、だから女はダメなんだ(色恋のことばっかで頭いっぱいな存在が社会的地位に就くことはダメなんだ)とでも言いたくてこういう設定にしたのかと思いましたよ。

意図はともかく、こういう状況を描こうと狙ってやったらしい。販売してる豪華パンフレットにこういう記述がないのは、やっぱ日本でこういうのはウケないって自覚があったんじゃなかろうか。なんかでも、ドイツの演出って「そういう話を観ててアンタ面白いの?」ってコンセプトが多いなあ。ドイツ人には面白いのかね。

*1:わたしゃこの演出家が極端なミソジニストで、だから女はダメなんだ(色恋のことばっかで頭いっぱいな存在が社会的地位に就くことはダメなんだ)とでも言いたくてこういう設定にしたのかと思いましたよ。それでパンフの演出家の解説を読んだら、観客にとって身近になるように現代に置き換えたという芸の無い理由が書いてあってズッコケた。

*2:どっかの奥が深い症候群の人が、そのナンセンスでグロテスクな人間の側面を描いてみせたのが隻眼であるとか深い洞察力がうんたらとか言い兼ねないので釘を刺しておきますが、人間の醜い面を描けば深い洞察力とか馬鹿のひとつ覚えで言い出さないように。原作とかけ離れた要素を持ち出すのは賢くもなんともなく、読めてないだけです。ああいうのは、何があろうと誉めなければおマンマにありつけない苦し紛れの批評家がよくやる常套手段で、そういうのを読んで育ったからそういう捻くった理屈を知的だと思っちゃうのかもしれませんが、そんな苦し紛れのゴマすりの真似をする必要はありません。

*3:念のためだが、暴力描写が嫌なのではなく死刑前のリンチという文脈を問題にしている。

*4:検索で辿りつかれてこの記事単独で読む人向けに書いておきますが、私は現代読替演出自体は支持するし、むしろ大好物で積極的に探求することを心がけてますが、読替の出来不出来には甘くありません。

*5:そんな人に通じないデン人歌手を使って説明するなよ>自分