フィガロの結婚@京都会館

いい加減オペラの記事を書かないと、ブログの趣旨を忘れてしまいそうなので。もう3ヶ月も経っちゃったから、印象に残っているところだけ。

さて私はリアルタイムでは知らないのですが、その昔、京響オペラというシリーズがあって、京都会館でオペラをやってたんだそうです。京響自体は、オペラの演奏はずっと継続してやってきたけど、このフィガロの結婚は、久々に「京響オペラ」の名前で行った公演だったそうです。

以下レポに入りたいところですが、久々なので、書きかけのレポを思い出して、その続きから。

http://d.hatena.ne.jp/starboard/20111010

いよいよ噂の京都会館のオペラの日です。さて1階の前方に陣取って、なにか見慣れない風景だなーと思いました。大抵のオーケストラピットのあるホールというのは、ステージ、オケピと並んだ後ろから座席がはじまっているものですが、京都会館は1階が大変広く、オケピはその中央部分だけに設けられており、オケピの左右にも座席があるのです。最初はこれが違和感の原因かと思いました。

違和感の元は演奏がはじまるとすぐに判明しました。ピットが浅いのです。というか、これはピットではなく、掘り下げた部分が(殆ど)ない、客席の一部をオーケストラエリアにしただけのものです。そして、序曲はともかく、幕が開いて歌がはじまると、どうも歌手の声がかき消されがちです。おっかしいなあ、フィガロの伊藤さんは以前聴いたことがあるけど、こんなではなかった筈。スザンナもかき消されがちだから、歌手はいつも通りだけど、オケが強い・・・というか、このピットもどきの構造のせいでオケの音がはっきりし過ぎなのか?ずっとこの状態の演奏を聴かなきゃいけないとしたらストレスフルだぞ、あちゃー、昨日尼崎に行っておくべきだったのか?*1と後悔しはじめました。

そうでした、そうでした。オケが立ち過ぎなんでした。これは本当に一幕の出だしの部分だけで、演奏はすぐに落ち着き、耳も慣れ、さすがにかき消され、という事態は無くなりました。後で知ったところによると、前日までアルカイックホールの公演があり、そのまま京都会館に来たので、この会場に合わせた音鳴らしもままならず、だったそうで、スタート時にはそれがそのまま出てしまったのでは。ただ、演奏側でなんとかなることとは別の問題として、オケピが浅いことによるオケの立ち過ぎ問題は、私としてはずっとありました。まあそんなことを言ってるのは私だけかもしれませんが。誰も言ってないときも、音の質が違うから気になるとか偏執的ないちゃもん付けてる奴ですから。京都会館は本当はオケピがちゃんとあるのだけど、蓋を開けるのが大変なのか別の事情なのか、この日は使わず(あるいは浅いモードでしか使わず)公演を行ったようです。

ところでさんざ評判の悪い京都会館の音響ですが、この日はオケピ使用のためか、全然悪くなかったです。ステージからの音も、全く、何が悪いんやろうという感じ*2。ただ、しばしば聞くのは、ステージに立つと自分の出している音が分からなくてやりにくいという意見ですね。それがスタート時の音に出ていたのかもしれませんが。


で、この日はね、ケルビーノが良かった!!歌になにか心地良いリズム・揺れがあって、抒情的なんですよ(リリックではなく、日本語でこう言いたい。オペラの世界でリリックというと違うものを指しちゃうからね)。このレベルの歌は、なかなか聴けませんよ。まさか今日ここで聴けるとは思わなかった。もう最初のアリアで思わずブラヴァが自然に出ました。ケルビーノを歌った上村智恵さんは関西二期会の若手で奈良の出身ですって。この日以来もう一度聴きたくて出演情報を探しているのですが、まだ聴けていません。実はあんまり感心出来なかった関西二期会の「つばめ」で、私が行かなかった方の公演日の主役を歌っていて、その日は大変良かったようです。くやしー!二日目に行けば良かったー!・・・気を取り直して、関西の方なので、これからも度々機会があるのではないかと思っています。公演情報をご存知の方は是非教えてください。

もう一人この日の発見は、バジリオを歌った八百川敏幸さん。私はオペラファンの癖に声質には鈍感な人間で、まず表現重視で、声質だけで惹かれることってまず無いんですけど、それでもこの声質には弱いってのがありまして、それがこの人の声なんですよ。だって、マイケル・クリステンセンみたいなんだものー(注:有名歌手では全くありませんので、検索しても出てきません)。歌い方も飄々としていて、すごく特徴的で、はっきり言って好みです。もうはじめて聴いた瞬間から、4幕でバジリオのアリアがあるようにと願掛けしていましたが、残念、ありませんでした。聴きたかったのに・・・(無茶言うな)。あまりにも気に入ったので、次に聴ける機会を求めて情報を探して、しばらく無かったので、本人は歌わないのにも関わらずこんなところまで行ってしまいました。それはそれで、こんなことでもないと当たらない公演を観れて面白かったけど、次はちゃんと歌を聴ける機会を楽しみにしてます。

あとは、伯爵夫人が、声綺麗ーって感じでしたね。おきゃんさを歌で好演していたスザンヌも良かった。フィガロもよくまとまっていたし。そうそう、舞台姿は全員バッチシでしたね。さすが日本人キャスト。


演出は、室内外を区切る壁とドアを、シンプルに枠だけで作って、部屋の中と外が同時に見えるというもの。超シンプルなんだけど、とても良かった。フィガロのストーリーにもよく合っていて物語の見通しを良くする役割をしていたし、想像力がかけたてられて、シーンひとつひとつに膨らみが出たと思う。中村氏の演出は何度も観ていますが、いつもいい。あとで関西二期会の人に聞いたところでも、今回の演出の評判はとても良かったそうです。しいて残念なところを挙げるとしたら、京都会館は舞台前面が広く、舞台奥に行くほど窄まった形なので、プロセニアムが大きく、相対的にセットが小さく見えちゃったことかなあ。アルカイックで観たらどうだったのでしょうか。背景に画が一枚あったら随分違ったのじゃないかと思うのだけど。

京都会館はご存知の通り建替で地元の話題でして、この公演も政治利用された面があって「演出が簡略化されていて、やはり建替えないと駄目だ」「あれでは、はじめてオペラを観た人がまた観たいとは思えない」とか言われているのですが、これ観てそんな感想しか持てないのなら、芸術向いてないんじゃない?と私は思いますね。テレビとかハリウッド映画とか見てた方がいいんじゃないかと。実際、私はこの公演にオペラ初鑑賞の友人を2人誘ったのですが、とても気に入ってくれて、また誘ってと言われたので、次に一緒に見に行くオペラも手配済です。分からないのは教養の問題だと思います。どうせ金かかったグランド・オペラの演出と比べて言ってるんだろうけど、これはモーツァルトだしなあ。そもそもグランド・オペラって、教養のない層が、準備も素養もなくてもその場にいるだけで楽しめるように考え出されたものなんですよ。


とかいう面倒な発言をしているとまた関係者に迷惑がかかってしまうのでこのくらいにして(<既に言い過ぎです)、京響の演奏ですが、とてもレベルが高かったと思います。こんなに完成度の高いモーツァルトは聴いたことがありません。瞬間々々が完璧です。ですが、わたしは京響と広上のおっちゃんが大好きなので、あえて言いますが、おっちゃんの作る音の密度が高過ぎて、舞台上の音とかけ離れ過ぎるんですよね・・・それは、ソースが濃過ぎて、絡まり合わないパスタのような。バランスの問題なんです。おっちゃんの音は、単独では完璧だが、しかし、オペラでは、あえて密度を落としてラフにすべきなんじゃないかと思う。それは、たぶん、ああいう耳と感覚の持ち主には逆に難しいと思うけど。ついでにこんなことを言い出すのも、よっぽど偏執的な感覚の持ち主だけじゃないかと思うけど。すごく細かいことを言いました。

最後にまたホールの話に戻るんですけど、最初の立ち上がりのとこが追いついて以降は細部まで実によく聴こえていたし、デッドな空間で完璧な演奏を聴くという理想的な時間だったけど、それでもやっぱり思ったのは、ホールがデカ過ぎるということだったりしました。親密さが欲しい。京都会館第一ホールは2005席(オケピ未使用時の数字)ですが、日本人歌手が映えるってことからは、もうワンサイズ以上小さい方がいいよ。大体ヨーロッパだって主流は千五百前後なんだし。なんで日本はそんなデカい箱ばかり志向するんだー!日本人の特質に全く合ってなーい!勿体ない!

2011年10月10日(月・休) 京都会館第一ホール
京響オペラ「フィガロの結婚」4幕 KV.492
演奏:広上淳一/京都市交響楽団
演出:中村敬一
出演:
アルマヴィーヴァ伯爵:福嶋勲
同夫人:木澤佐江子
スザンナ:三村浩美
フィガロ:伊藤正
ケルビーノ:上村智恵
マルチェッリーナ:安本佳苗
バルトロ:服部英生
バジリオ:八百川敏幸

*1:今回のフィガロの結婚は、アルカイックホールで二日やって、京都会館で一日という連続シリーズでした。

*2:まあ私は響き過ぎのお風呂ホールが嫌いでデッドなホールが好みという(日本のクラファンとしては)特殊な嗜好を持つ人間なので。お風呂ホールは演奏が悪くても誤魔化される利点はあるけど。