ブラームス:リナルド

昨日soraさんからもらったモスクワのリナルドブラームス)の演奏が良くて幸せ。この曲、ディスクで初回聴いたときはそんなでもなくて、ところが今年の演奏会を知ったことがきっかけで聴き直して、すごくハマったというか、ものすごくしっくり来て、何回も聴き直していたのだった。心地良い何かに包まれているような、柔らかい柔らかいサウンドの曲。演奏じゃなくて、曲そのものがそういうサウンドを規定しているような、そんな曲。あまり有名ではないらしい。ドイツ・レクイエムと同時代に作曲され、タッチも似ているけど、私はこちらの方がずっと好きだ*1

ブラームスカンタータリナルド」は、魔女アルミーダに幻惑されてとらわれているリナルドと、彼に呼びかけて現実世界に引き戻そうとする水夫達が描かれている。アルミーダを登場させずにその存在を描こうという試みでもある。上で心地良い何かに包まれているようなって書いたけど、何かに包まれてそのまま浮遊しているような、そんな曲でもある。それはアルミーダにとらわれたリナルドの精神そのものなのかもしれない。あるいは、此岸と彼岸の間で、このままいようか、それともあっちに行こうかという迷いの気分とでも言おうか。

今回の演奏は、自分のリナルドのイメージがそのまま、さらに強調されたような演奏になっていたので驚いた。実はディスク・リリースされている演奏は、その要素が非常に分かりやすいというわけではなく、スルメのような、噛めば噛むほど、控え目なその味が分かってくる系。だから初聴きでハマれなかったのである。今回は簡単に「ソフトな浮遊」が感じられる演奏になっていて、期待通り。またすごく言葉がはっきりしていて(録音のせいもあるんだろうけど)、それが素晴らしい。アナセンを聴くというのは言葉を聴くということだから。彼の50代の録音からも進化していて驚かされる。一節毎に、しつこいほど韻を踏んだゲーテのこの詩は、なんとなく歌っていてもそれらしくは聴こえてしまうところだけど(実際モスクワ州立大の合唱パートはそんなもんである)、これを言葉通りに歌うことがどれだけ巨大な効果を生むことか。やっぱり詩なのだ。けれど、詩を超えている。詩の朗読よりも、もっと朗読的な性格を高めたもの。それも形式の定められた音楽という枠の中で。そんなものが存在し得るだろうか?YES!ここに。


YouTubeに2004年の録音が上がっています。関連動画をクリックしていくと1曲聴けます。ディスク情報は右側。ゲーテの詩にブラームスが着けた曲を集めるというコンセプトのアルバムです。このディスク、カップリングのAnna Larsonの歌うアルト・ラプソディもいいので買いですよ。上に書いたようにスルメ系ですが。

ところで、私もこれ書くのに調べてて知ったのだけど、アナセンは1997年のPROMSでリナルドを歌っていたんですね。知らんかった。何故かPROMSの表記がテノールとヴァイオリンになっているが、これはさすがにヴァイオリンの人を書き漏らしているだけだろう。Orphei Drängarはスェーデン王立男声合唱団。

http://www.bbc.co.uk/proms/archive/search/1990s/1997/september-07/11479
Proms Archive > 1997 > Prom 65
Sunday 7th September 1997 7.30pm
Royal Albert Hall
Brahms: Rinaldo, Op 50
Orphei Drängar
Neeme Järvi conductor
Gothenburg Symphony Orchestra
Stig Andersen tenor

Prokofiev: Violin Concerto No. 1 in D major
Gothenburg Symphony Orchestra
Stig Andersen violin
Neeme Järvi conductor

Sibelius: Symphony No. 5 in E flat major, Op 82
Gothenburg Symphony Orchestra
Neeme Järvi conductor

Alfvén: Gustav II Adolf, Op 49 Elegy - encore
Neeme Järvi conductor
Gothenburg Symphony Orchestra

*1:ドイツ・レクイエムでしっくり来る演奏にまだ巡り合っていないだけかもしれない。