スティー・アナセン覚書(新国タンホイザーが気になる人のために)

アナセン?アンデルセン?アンダーセン?

"Stig Andersen"は、現地語(デンマーク語)読みではスティー・アナセンです。本当は「アナスン」の方が近いと思いますが、最近のデンマーク語の日本語表記では、Andersenは「アナセン」と表記する例が多いみたいです。セに近いかスに近いかは聞く人によるし、ローマ字読みの影響(eだからセ)もあるかもしれません。

有名な童話作家アンデルセンと同じデンマーク人で同じ名前であり、アンデルセンは日本の由緒正しいローマ字読みです。国際的にはスティーグ・アンダーセンと発音されていることが多いです。ドイツ語圏でのアナウンスもアンダーセンです*1。母国語圏外での固有名詞の発音は、スペルをその国風に読むか(日本ならローマ字読み)、現地語読みを再現しようと試みるか、国際標準としての英語読み(その国の英語の浸透度による)になりますが、英語圏にとってのローマ字読みに相当する英語読みが堂々と流通してるんだから、我が国のローマ字読みだっていいじゃないかと私は思ってます。

でも、英語圏でしばしば Anderson と書かれているのですが、あれはどうなんだろうと思います。オリジナルが特殊文字でタイプ出来ないならともかく。Anders*n と来たら Anderson に決まっとる、という予見が働くのでしょうか。意味は一緒です。Andersen はデンマーク人、Anderson はスウェーデン人(が起源)だそうです。

ちなみに、前回の来日の新日本フィル公演での表記は「アナーセン」でしたが、これは違うと思います。アクセントがアにあるので、2音目を伸ばすのは、かなり違和感があります。

なお、現地では有り触れた名前でミドルネームまで書かないと特定出来ないため、必ず"Stig Fogh Andersen"と表記されています。

特殊な歌手

これだけは言っておかねばなるまい。贔屓の歌手が来日するってのにネガティブなことばっかり言っててファンとしてはどうよって思うんだけど、やっぱり言っておかねばなるまい。

この人は、現代のオペラ歌手としては、本当に特殊な人でねえ。日本じゃウケないと思うんですよ。私は来日するって聞いたとき止めたんだけど*2・・・まあとにかく、手放しで喜べないシチュエーションなんですよ。

アナセンは、日本のオーディエンスだと、8割くらい駄目だと思う。もしかしたら9割かもしれない。駄目な人には全然駄目なんですよ。その代わり私みたいに強烈にハマる奴が出る。そういうタイプ。

  • こんな人はパスした方が無難
    • その日1番声量が大きな歌手を、最も優れた歌手と感じる
    • ずっと一定して大きな声が出ている方がよい
    • 高音を引き伸ばして歌ってもらうと満足する
    • 有名なアリアを調べて、そこを聴くのを楽しみにして行く
    • オペラのストーリーは、アリアとアリアの間を埋めるもの
    • プロの歌手で音程や技術がひどいと感じることはあまりない
    • 他の人達が不満を言ってるときでも、何が悪いのか分からない
    • オペラの技術って、どのくらい声が出るかってことじゃないの?
    • どのフレーズがどうこうではなく、なんとなく雰囲気で聴いている、たまにはっとする瞬間があれば良かったと感じる
    • 綺麗な声で軽々と歌ってもらうのが好き
    • キャラクターに声質が合っていることが最重要
    • 大きな音が出たり、高音の瞬間があると、つい拍手してしまう
    • ワーグナー作品は、分厚いオケを超えて声が突き抜けて届くのが醍醐味
    • 最近のバイロイトテノールで不満がない(幸せなことです)
  • こんな人にはオススメ
    • オペラを文学的に聴く趣味がある*3
    • 全フレーズを追い掛けるように聴く
    • 音程はかなり気になる
    • 細かなフレージングや細部の処理の仕方などが気になることが多い
    • 最近の歌手は平坦・ニュアンスがないと感じる
    • 声質は良くても技術や表現力が不満と感じることが頻繁にある
    • 声に力がある/無いと、声がデカい/小さいは違う
    • 自分は声質だけでは満足しない

上に書いたことから大体予想が付くと思うけど、殆どの人にとって、声量と声質に不満が出る可能性が高いと思います。一番不満が出るのは声量でしょう。声質は、ワーグナーを歌う声じゃないという感想になる可能性が高いです。あと歌い方などを総合して「弱い」「苦しい」「いっぱいいっぱい」「なんとか歌ってるレベル」などという感想になる可能性も非常に高いと思います。

しかし、そう聴こえる人にとっては実に信じ難いことだと思うけど、彼はマニアックなワーグナーファンや同業者からの評価は異様に高い人で、「ヘルデンテノールとして群を抜いているだけでなく、現代で聴けるテノールの中でも最高」とか「現代最高の○○○○○(役名)」などの評*4は頻繁に出ます。劇場の支配人で惚れ込んじゃった余り彼ばっか採用して立場が悪くなった人も(客ウケ悪いから)。これ、聴けない人から見ると、八百長でもして本当じゃない評を書かせてるようにしか見えないだろうなーと常々思ってます。しかし、我々から見ると、逆が信じ難いんですよ。一体どう聴こえてるんだー。


過去2回来日してるけど、特に2回目の新日本フィルでの来日の評判は散々でした。これは公演日が2日あって、その後半の日で風邪引いて(アナウンス入ってる)からそれもあるんだけど、今でも「スティー・アナーセン*5」で検索するとそのときの評が出てくるから、気になる人は読んでみて下さい。基本的に酷評揃いなところに、ごくたまに馬鹿みたいに高い評を出す人が入ってるから。1回目の来日のときも、非常に高い評価を出した人と酷評の人が混在してる。元々そういう芸風の人です。

最近だと上海でジークフリートを歌ったとき、2回ヤング・ジークフリートを歌う予定だったんだけど、1回目で満場のブーイングになっちゃって2回目は降ろされちゃった*6。日本は黙って拍手して帰って、ブログなんかに良くなかったと書くパターンなだけで、割合的には上海とそう変わらないんじゃないかな。

私は中国と縁の深い日常を送ってるので予想してたんだけど、最初に聞いた瞬間から中国ではミスキャストだと思ってた。ヨーロッパでドイツオペラ寄り文化圏の国々はああいうのを聴きたい人が多いんだから、そっちで歌ってればお互いハッピーだと思うんだけど。マッチングの問題なんだから。

正直、今回、新国が何故この人を呼んだのか分からない(←ファンの台詞じゃない)。この人、ハマる人はものすごくハマるので、関係者で誰かハマっちゃって是非呼びたいということになったのか、事務所がグールドと同じだからグールドを指名して対案として出されて、キャリア見たら直前の代役なのにこのクラスが見つかってラッキーということになって、あまり深く考えてないのか。たぶん後者。しかし過去2回の来日のときのことを誰も知らないのか(居合わせても、同業者は「聴ける」から分からないのかもしれない)。

いやあ。アナセンの評が割れる、殆ど面白いくらいに最高と最低に割れるのは、そりゃあ逸話がいっぱいありますよ。


一番のネックとなるのはたぶん声量です。声量も、聴けると、正しく歌ってるから充分に感じるんだけど、聴けないと、我々が感じてる以上に小さく(つーかよく聞こえないと)感じるみたいです。音量の上下がすごく大きいスタイルです。それが追えると自然に感じるけど、追えないとよく聞こえない(ところが多々ある)となるようです。

ひとつ知っておいた方がいいのは、声とオケが被さってオケがデカくなる箇所は、声とオケがバトンタッチするところと心得ている節があって、オケと溶け合うように歌うことです。そこで声とオケが張り合って声の方が超えて届く状態を期待してると、毎回外されます。あと、これも常態と化している、フレーズの最後の音の楽譜以上の引き伸ばしもやりません。これも期待してると毎回外されます。と言っても、耳がそっちで慣れてるので今更そんなこと言われても、ってところだとは思います。彼が最も声量を出す瞬間は、フレーズの途中にあり、一音目から大きく入れることはなく、ピアニッシモからフォルテに至り、またピアニッシモまでコントロールされて終わり、デカいまま引き伸ばしはありません。すごい負荷の高い歌い方だと思いますが、多くの方に通じないので、コストパフォーマンスは悪いと思います。

声質も、今のヘルデンとは違います。ヒストリカルとも違います。今のワーグナー歌いの常識としてのよく詰まった声ではありません。また、声質でスターになるような、初心者でも一発で分かるような種類の、声質に分かりやすい魅力があるタイプではありません。ちょっとドライで、どんな瞬間を聴いても一瞬で彼だと分かる種類の声質ではあります。それが、聴いてると、作曲家は本来こういう声を意図して作曲したのではなかろうか、これが正しいトーンだ、と言い出す人がいる声質でもあるので、これはヘルデンじゃないとシャットアウトする前に白紙で聴いて頂きたいと思ったりするわけです。

まあ特殊な人ですよ。私は警告はしました*7。それでも面白そうだと聴く人は自己責任で。


こちらでアナセンのタンホイザーの抜粋が聴けます。
http://d.hatena.ne.jp/starboard/20120417

直前の追記

公演直前になって、この記事へのアクセスが増えているので追記します。アナセンの声質は独特で非常に散りやすく、散った後の声を美声だと言う人もいれば物足りないと言う人もいる両極端な反応を呼びやすい歌手ですが、新国立劇場に限っては、ゲネプロでお聞きになった方の報告でも、私が実際に会場で聴いてみた感触でも、殆ど声の拡散が無く、まるで普通の歌手のように聴こえるという状態が期待出来そうです。ただし、客席が空席状態のときの話なので、満席では異なるかもしれません*8。それでも他の会場よりは声量に不満が出にくい条件で聴けると思います。

本人、直前に風邪を引いてリハを休んでおり、ゲネプロから復帰していますが、咳をしながら歌った模様です。プレミエにどこまで影響が残るか分かりませんが、情報提供させて頂きます。

*1:今度ドイツ人と話す機会があったら、ドイツ風に呼んでみてくれって頼もうと思うが、外国人の名前は英語読みがデフォなのかな?

*2:今回の話の前にマンチェスターで会ったとき、そのときは奥さんと一緒だったし、2人で遊びに来てねってつもりで「いつか日本に来てね、でも今年は駄目、いつかね」って言って別れたから、半分くらいは責任あるかと思って・・・というのはアナセンは還暦超えてからはオペラ全幕の仕事はすごく絞ってるから、何もなかったらOKしなかったと思うのね。

*3:「オペラの薀蓄が好き」とは異なる

*4:客寄せの事前評ではなく公演の事後評。そもそも事前評で盛り上げてもらえるジャンルの歌手ではない。

*5:念のためであるが、この表記はおかしいが、これで検索するとその時の評だけ読めるので。

*6:私は聴ける側の人間だったので、まったく見事に歌い切ったと思っていたので何が起こったのか分からなかった。だって、その公演で群を抜いてレベル高かったのに。

*7:エルダごっこ

*8:人や衣服は吸音するため、満席時と空席時では、残響時間が0.2〜0.5秒程度異なるほどの変化がある。