森は生きている@びわ湖ホール2012
「森は生きている」は1回聴いて以来、どうもじわっと涙腺を刺激する旋律が多くて困る。あの「燃えろ、燃えろ・・・」とかもそうである。シーンが変わると全く刺激しないので、これは音楽にそういうものが入っているんだろう。後半で12月の精が出てくるところの音楽とか、私にとっては全部そうである。今日はもうこれに尽きる。だから以下は全部蛇足。
会場も一緒に歌いましょうということで楽譜が配られた。楽譜を見て歌うなんてのは中学校の音楽の授業以来である。楽譜がシンプルなので驚く。これであの効果があるのは滅茶苦茶すごい。初回は分からなかったすごさである。
そうだなあ、本日のレビューでこれ書くと申し訳ないかもしれないが、各キャラの成りきり度合い、ビジュアル・声質(歌い方)でのマッチングは、こんにゃく座の方がずっと上手い。上演回数がそもそも違うかもしれないが。あの上手く見えない(?)芸風は実はものすごいのだと遅れて思ったりした。オペラでは後に回されがちな演劇性を妥協してなくて、当たり前に演劇として成立してるんだよね。DVDが欲しくなった。
演出は、一昔前のみんなの歌に出てきそうな切り絵の額縁的な背景に映像を写すのと、森のセットを使ってうまく作ってある。しかし、あのシンプルな舞台装置をうまいこと使うのを先に見ていると、なんか違うのではないかという気になる*1。あちこちカットがあったそうだが、女王が人にものを頼むことを覚えるところ(というか人と対等な関係で付き合うってことを知るところ)は、もうちょっと引っ張らないと、あっという間に終わってしまって初見の人に伝わりにくいのではないかと思う。
オケ版は色彩感があって面白い。実は私は本日のチケットを早く買い過ぎて1回無くしてしまって買い直したのだが*2、折角2枚買ったのだからと、前半は1階中程、後半は2階サイドと変えて聴いたら、オケ自体の明晰さが全然違うし、響きも綺麗だし*3、ステージからの声もずっとクリアで聴き取りやすくて、改めて上階好きを再認識した。1階は音が全体にこもって曖昧になるし、ステージからの声がオケにマスクされて細部が分かりにくくなる。中ホールくらいだと1階でもいいのかと思ったのだが、全然違ったのだった*4。オケの演奏に関しては、前半と後半では全く印象が異なった。ここまで違うと同じ演奏聴いてても評が割れて当然だなあと改めて思ったりした。
ついでに視覚面でのことだが、日本のホールにはありがちなことだが想定体格の幅が狭いので、1階では自分と舞台を結ぶ目線の位置ジャストに前の人の頭が来てしまう。周囲を見渡すと、周囲の大人は背もたれの上から首筋と頭が完全に出ている。自分の頭を手探りで確かめると、頭の半分が背もたれに隠れる位置である。これでは見えないのも当然だ。私にもお子様用嵩上げ座布団ください。というわけで、視界の点からも、傾斜がきつい2階を選ばないといけないようだ。さらに想定体格外のため手すり位置も高過ぎるので、2階であっても最前列とサイドの舞台側の手すり寄りを避けないといけないので、私の好きなサイド席など全6席中の4席がNGで、2席しか選択肢がなかったりする。その2席はそんなに人気があるわけではないので助かっているのだが、いくらなんでも想定座高が高すぎると毎度思うのであることよ。
びわ湖ホール オペラへの招待 林 光作曲 オペラ『森は生きている』
2012. 6.30 (土) びわ湖ホール 中ホール原作:サムイル・マルシャーク
訳:湯淺芳子
台本・作曲:林 光
オーケストレーション:吉川和夫指 揮:寺嶋陸也
演 出:中村敬一
ピアノ:斎木ユリ
管弦楽:いずみシンフォニエッタ大阪
出 演:びわ湖ホール声楽アンサンブル
1月(総理大臣) 相沢 創
2月(廷臣) 田中千佳子
3月(オオカミ) 本田華奈子
4月(警護隊長、カラス) 山本康寛
5月(ウサギ、もう一人の兵士、大使夫人、廷臣) 栗原未和
6月(もう一人の娘、リス、廷臣) 松下美奈子
7月(むすめ、廷臣) 中嶋康子
8月(女官長、オオカミ) 小林あすき
9月(おっ母さん、廷臣) 森 季子
10月(女王) 岩川亮子
11月(兵士) 青柳貴夫
12月(博士、古老) 林 隆史