サロメ@ROH2012 初日 (2)

なんだか寝かせ過ぎて書けなくなってますね。もう一杯反芻したから、もういいだろうと思ったのだけど。この公演、私にとってはすごく思うところがあって、誰にも言わずに心の中でずっと反芻してたいような、そんな経験だった。アナセンが私にとってすごく特別であることを再確認した経験だった。これまでだってそういう経験をしてきたんだけど、それは、いつもワーグナーと結びついていて、アナセンなのかワーグナーなのか分からなかった。区別出来ないけど、自分の人生の無意識下の課題や願望をそこに発見して、驚いて、飛びずさって、あーーーーーー!と叫びながら駆け出したいような、そんな体験だった。それが何かは、イェーツが森の中で見たビジョンみたいなもので、還元的には説明出来ない。このブログで時折説明を試みてきたけど。

今回、ワーグナーじゃないものを聞いて、そういう、テーマから来る自分の人生への切実さというのはなくて(それはそれで、距離が出来て、ゆえに色々思うことはあったけれど)、それで、ワーグナーじゃなくてアナセンが何をしているかはっきりした気がする。

もうね、こんなん全然音楽の話じゃないからね。人が聞いて面白いのかも分からん。時系列レポとか歌手毎の所見でも書いた方がよっぽど面白いんだろうと思うけど。

1日目、アナセンが一声出すと体温が数度上って、上ったままだった。息を詰めたまま舞台を観てて、ずっとその状態だったので、終わったときは激しい運動をした後みたいにぐったりした。

2日目、なんでそうなるのかが分かった日だった。彼がいると、舞台上で起こっていることに非常に共感的になってしまって、ストーリーを観ているのではなくて、そこで起こっている出来事を自分が経験しているかのような、そんな時間を過ごしているのだ。それは、共鳴とか感応とか、そういう種類の現象だと思う。感情移入ではない。投影ではなくて、もっと丸ごと自分がそれが起きている場所にそのままいるような、傍観者ではなく、自分が舞台上の人物の誰でもあるような、そんな状態。不思議なことに、ヘロデに感情移入するというのではないのだ。ただ、彼がいると、舞台上の出来事が本当にそこで起きていて、自分がそこに生きているように感じられるのだ。

こう思ってから、ホルテンが以前にインタビューで、自分の演出はアイロニーではない、シンパシーだ、と言っていたことが妙に思い出された。自分がDKT(やその出身者)を特別だと思うのは、惹かれて仕方無いのは、これを目指していることが根っこにあるからかもしれないと思った。