中丸三千繪リサイタル@ブライトン音楽祭

家にTV無いし、雑誌は読まないし、情報はもっぱらネットで自分の関心に従って取ってくるか、似たような関心を持つ仲間から送られてくるという生活を長年続けていると、日本人なら知っていて当たり前のことを全く知らずに吃驚されたりするわけですが*1、そんな私でも何故かお名前は知っている中丸三千繪さんのリサイタルに行ってきました。と言っても、会場でプロフ読んで「おお、そういう人だったのか」とか思ってるわけですが。会場はいっぱいで、他の回との格差を感じました。

この方、すごいですね。プロフの経歴も納得出来るものでした。しかも、とても知的な歌手です。トークじゃなくて歌の内容が。

正直、前半を聴いてると、客の方が付いてこないんじゃないかと私なんぞは思ったわけですが、というのは、声量もトーンもコントラストが非常に大きいスタイルなんですよ。しかも一音の中でそういうことをやっている。で、絞るところとか、結構すごい(出す方より難しい)。こういう入場無料のイベントでは(いや有料のコンサートであっても)、そこまでコントラストを上げずに平均的に大きな声量で歌った方が喜ばれてしまうのが常ですから、なんという費用対効果の悪いことを、無料イベントなんぞでやるのだろう、と思って聴いていました。しかも選曲が、なにかマニアックです。一見有名曲が目に入るからそうでもないと思わせておいて、なんか構成がマニアックです。どの音域も素晴らしかったんですが、特に中低音が深くて心地良かったです。あと、そうだな、声質がめちゃくちゃ似ているというわけではないのに、歌唱センスの問題なのか、私にとっては、インガ・ニールセンを思い出させるものでした。

後半のオペラに入ると、ぐっと華やかに分かりやすくなりました。アドリアーナ・ルクヴルールの最後の音など、弱音から入れて、徐々に、一体どこまで行くんだーというほど大きな声量まで恐るべき正確なコントロールで張った後に全くブレずにまた弱音まで絞ったところなど、ちょっと聴けないものを聴いた感が満載でした。またちょっと違う話をしますが、椿姫のヴィオレッタの3幕の台詞(ジェルモンの手紙の朗読から始まるところ)がなにかすごくて、私はこの部分、はじめて本当にヴィオレッタがしゃべってる気がするものを聞いた気がします。それが、舞台の続きじゃなくて、それまで別のアリアで、いきなりこの台詞から入ったのにあっという間にそうなるところが本当に不可解なんだけど、その通りのことが起こったのです。

カスタ・ディーヴァは、ニールセンの歌唱が念頭にあるので曲目見たときから楽しみにしていたのですが、脳が知ってるものを基準に差分で認識するからか、案外似てないな、と思ったり。ニールセンの方がよりコントラストがきつくアクロバティックだなと思いました。ただ、帰宅してから思い返しつつ他のソプラノによるこの曲を聴いてみたのですが、他の歌手に比べるとやっぱり相当似てると思い直したりしました。

アンコールで、ポピュラーな曲とそうでない曲を1曲ずつやったわけですが、客は華やかなプログラムを好むし、好まれるものこそがいいと思ってやっていたときもあったけど、あとどれだけ歌えるかと考えたら歌いたいものを歌う、とトークしていて、前半の選曲の秘密がちょっと分かったような気がしました。

そうそう、本日はピアノがOKでした。私はピアノの音が苦手で、聴かなくてもよい成分を聴いてしまうので本当に本当に苦手なので、殆どのピアノ演奏がダメなのですが、今日は良かった。平均的な演奏より軽い演奏だったと思います。実は昨日この会場で聴いたときも「あれ?なんかダメじゃない・・・」と思ったので、この会場のピアノか音響上の理由もあるのかもしれません。ってコンサートホールのピアノがダメでそれ以外がいいなんて、やっぱり音楽を聴く耳がないか、王道でない癖のあるものに惹かれてるんじゃないか、ってことになってしまいそうですが。

ブライトンホテル 京都リレー音楽祭 660夜
2012年7月31日 (火) 
中丸三千繪(ソプラノ)
安達朋博(ピアノ)

ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ
マーラー: 私はこの世に忘れられて
シューベルトアヴェ・マリア
カッチーニアヴェ・マリア
多忠亮:宵待草
本居長世:赤い靴
アルファーノ:もしあなたが黙れば
ガーシュインサマータイム
リスト:平和が見つからず(3つのペトラルカのソネットより)
リスト:愛の夢
ショパン:別れの曲
ヴェルディ:ありがとう、愛する友よ(シチリア島の夕べの祈り
チレア:私は芸術の神の僕です(アドリアーナ・ルクヴルール)
ヴェルディ:さらば過ぎ去りし日よ(椿姫)
ベッリーニ:清らかな女神よ(ノルマ)
ラフマニノフ:春の洪水 <アンコール>
プッチーニ:わたしのお父さん(ジャンニ・スキッキ) <アンコール>

*1:この時点で、みんなに合わせるために努力してTVやらをチェックしている人の不興を買ってしまいそうな発言であることよ。