京響定期2012年8月

去年の8月の定期は暑い盛りで、前半は引かない汗と眩暈に耐えながら、しかし私の鑑賞体験ベスト3に入る素晴らしいプログラムを聴いたものです。最近の日本は季節が一月近くずれていて、暑さのピークは7月に過ぎ、8月に入ればずっと過ごしやすい日々が続いています。

というわけでこの季節にしては快適に聴き始めたのですが、そうだなあ。今日はピアノ攻略がちょっと進んだかも。いつも書いてますがピアノの音がとりわけ苦手*1な私は、それでも少しでもピアノを快適に聴こうと色々模索中なのですが、ピアノの入る今日のプログラムを警戒して、ピアノの蓋が開く方向の逆サイドで、バランス的にもオケの他セクションが強調されると思われる、3階サイドの一番P席寄りの、ホールで最も人気がないであろうエリア*2に陣取っていたのですが、これは結構良かった。特に、ピアノソロが強過ぎる問題が気にならず、ゆえに減衰音にも意識が行かないのは良かった。強過ぎるとその音にどうしても意識が行っちゃって、聞かなくてもよいところまで聴いてしまうんだよね。

あ、このレポはとても特殊で、大抵の人にとっては、現代で最も人気のある楽器であるピアノの音が聴けないとか、減衰音が気になるなんてのは、トンデモであると思うので、決して参考にしないことをオススメします。エアコンの設定温度の快適なポイントが人によって異なるように、どのバランスを心地良く感じるかは個人差があり、それが極端なところにある人もいるくらいに思ってもらえると私としては嬉しいのですが。

大抵こういう前置きを書きたくなるのは、辛辣なことを書くときです。私は井上氏のある種の分かりやすさと相性が悪いのかもしれない。今日は前半は、プーランクの協奏曲の1楽章の後半のピアノがリフっぽくなるところと2楽章(特に弦の活躍)は非常に良かった。ただ、それ以外のところは、この分かりやすさが安っぽく感じてしまった。うーん?と思いながら聴いていて、おー、いいじゃんと思って、そのまま調子が出るといいんだけど、また元に戻ると相当ガッカリする。曲は面白いと思う。あの1楽章と3楽章を、別の演奏でどうなるか聴いてみたい。

後半は、んー、合唱の言葉がはっきりしないのは、プレトークでそれは気にするなと言われた気もするが、どうしても気になってしまう。しかしそれ以外の総合的なところでは頑張っていたと思う。ソリストは勢いがあるところがよかった(と書くと声量のことだと思われがちだが、歌唱の調子が作る勢いのことであるので念のため)。この曲は終わってみるとあまり印象がないのだが、特にオケの印象が全然ないのだが、それは必ずしも悪いことを意味しなくて違和感が無く自然に聴けたということでもある。プーランクは、私にとっては合唱曲のイメージが強い作曲家でこの選曲もその延長にあったが、聴きやすい曲だとは思ったが、あと一歩のところで腑に落ちる感じがしないのも、この作曲家の作品に触れる体験の常のような気がする。いつか「分かった!」と思うのだろうか。

http://www.kyoto-symphony.jp/concert/detail.php?id=177&y=2012&m=8&PHPSESSID=dd2064e7a3740a7c82efcd19052717b8
2012年8月12(日)2:30pm 京都コンサートホール・大ホール
京都市交響楽団第560回定期演奏会
井上 道義(指揮)
瀬尾久仁&加藤真一郎ピアノデュオ(ピアノ)
谷村 由美子(ソプラノ)
京響コーラス

ガーシュウィン:パリのアメリカ人
プーランク:2台のピアノと管弦楽のための協奏曲ニ短調
プーランクスターバト・マーテル

*1:協奏曲だとバランスの問題としてピアノの音を強く聴き過ぎてしまう&弦の減衰音が気になってしまう。

*2:もっとも私にとっては1階の殆ど・2階全て・正面席全てよりよほど好ましいエリア。