北欧の舞台芸術

久々の読書記録。

北欧の舞台芸術
毛利 三彌 (著), 立木 耀子 (著)

タイトルに惹かれて開いてはみたものの、演劇とバレエ(現代舞踏も含む)の本でした。同じ舞台空間で行われ、存在感も大きく、一体不可分な歴史があるアートフォームであるにも関わらずオペラが対象外なのは、編著者達の専門性もあるだろうけど、そこで専門性を補う誰かを入れてオペラも含めようという企画にならなかったのは、オペラはオペラであまりにも独立しちゃってるからかなーと思ったり。

ということにはすぐ気づいたものの、あのデンマークの身体をめいっぱい使った、もはやダンスの域に達してると言ってもいい滅茶苦茶ヘンな演劇の秘密の一旦が分かるかと思って、読んでみました。バレエも興味あったし。

この演劇・バレエの2つともデンマークでオペラの合間に鑑賞するようになってから興味が出て、国内で来日もの含めて観るようになったんだけど、これまでの経験だと、結局デンマークが自分の嗜好に超絶合ってるだけで、なんでもあのレベルで面白いわけじゃないんだーという感触だったりします。それにしてもバレエはともかく、言葉も分からないのに演劇を観に行くのは肩身が狭いったらない*1。いつも極力バレないようにササッと行ってササッと帰ってます。ま、英語ガイドも無しにお能を観に来てるガイジンさんみたいなもんと考えると、別にいてもいいような気もしますが、しかしバレると気まずいったら。

そんで、肝心の、あの強烈変な演劇の秘密は分からなかった。DKT(Det Kongelige Teater, デンマーク王立劇場)の開祖(?)で北欧の最初の国際的な劇作家であるホルベア(1684-1754)がそもそも喜劇作家であり、今も喜劇の伝統を受け継いでいるといったくらいか。デンマーク俳優は喜劇に優れるというのは北欧全体の共通認識らしい。たしかにデン人の性格ともよく合うし、そういう歴史があるならそうかもなあと思いつつ、どんな風に発展してああなったのかとか、もっと掘り下げて知りたかった。

ついでにこの本から分かったDKTの歴史。

  • 1722 国民劇場「デンマーク舞台*2」設立。ホルベアが23篇の戯曲を書く。
  • 1724〜25(設立から2年半後) 同劇場、財政難であっという間に閉鎖。
  • 1748 王立劇場の創設。国民劇場の流れを組む。

国民劇場から出発して後に王立になるって流れが、オペラの歴史とかとは逆転してて面白いね。ヨーロッパの他のいわゆる「格式ある」歌劇場はオペラとバレエしかやらなくて、それ以外をやるところにはなんとなく大衆向けレッテルが貼られて、そうじゃなきゃ演劇は全く別組織になってて、歴史的にもオペラ・バレエ=貴族階級のためのもの(を大衆にも開放する)、演劇は大衆のものって位置付けを感じるけど、DKTは演劇も含めて3本柱だし、オペラやバレエの演劇性も強いのも納得な歴史です。


バレエの方は、いつもブルノンヴィル様式って言ってるけど、そのブルノンヴィルは2人いたことが発見だった。いつも「なんとかブルノンヴィル」でちゃんと見てないもんなあ。ブルノンヴィルさんはフランスの人だった。そう言われてみれば、これはフランス人の名前だなあ。そういうことは考えたことがなかった。

それはともかく、父アントワーヌはフランスでダンサー・振付師として活躍した後ストックホルムの王立バレエ団に招かれ、その後の政変でコペンハーゲンに落ち着く。子オーギュストはアントワーヌとスェーデン人ダンサーとの間に生まれコペンハーゲンで育ち、パリでバレエを学び活躍した後、デンマーク・ロイヤル・バレエ団のマスターに就任し、振付家として50以上の作品を残し、細やかな足捌きと弾むような跳躍を特徴とする「ブルノンヴィル・スタイル」を確立したとのこと。ちなみにHCアンデルセンと同年生まれで一時期アンデルセンはバレエダンサーを志して勉強したくらいであるから(この人はオペラ歌手も志したのだが)、当然親交があったそうな。当時の文芸活動の流行である北欧神話や中世の俗謡、民族音楽に影響を受け、これをバレエに採り入れた作品を残してデンマークロマン主義文化の一環となった。オペラの演出も手がけ、ワーグナーの楽劇を王立劇場に紹介したということだから、そこから発展したものを私が今観ていることになる。

さてその「ブルノンヴィル・スタイル」のバレエであるが、19世紀に入ってロマンティックバレエが衰退してロシアに中心が移る中で、文化的にも地政学的にもヨーロッパの中央とは距離のあった北欧特有の環境からブルノンヴィル・バレエの伝統が守られた、らしい。

一通り出てくるバレエ作品のなかにはロマン主義的な作品だけでなく、私が3月に見た(すごく面白かったのにレポ書いてない)不条理バレエもあったりして、結構身近な感じで読んだ。舞踏の記述の方はそういう背景を共有していないから読んでてもあんまり分からないんだけど、国民のための「デンマーク体操」というのが面白い。これまたレポ書いてないけどコンサートに行くつもりでDRコンサートホールでの大合唱大会に紛れ込んでしまって、それに春の合唱ピクニックとか、後で出てくる演劇もそうだけど、この国では芸術は芸術家がやるものを有難く拝見するのではなくて、国民がやるものであるのだなあということを再確認した。


デンマークの劇場に対する文化政策の変遷もなかなか面白い。遊興税の対象から、支援の対象へと変化すると同時に「一般性、芸術的な質、デンマークらしさ、偏りのないジャンル」という条件が課せられるようになったとか、公共サービスとしての「演劇」の提供とか、その後の国家による介入の縮小の流れとか。あと児童演劇に歴史があって、子供自身が演じる劇と大人による子供のための劇が存在し、国際的にも高い評価を受けているそうな。「もはや教育施設でも害のない娯楽のための遊び場でもない。それは、子供の生活観や世界観を舞台にのせる手段である」と言われると何をやってるのか見てみたくなる。あのデンマークだからきっとガツンとすごいのだと思う。もちろんそれは、大量にコピーして商売になるような種類の面白さではないのだろうけど・・・・


他の国の記述はあんま読んでいないのだが、ノルウェーの言語問題というのが興味深ったので*3、紹介してみる。

ノルウェーでは現在標準語が2つあり、というと移民国家ではありがちなことであるが、ノルウェーの場合、他国と共有していないノルウェーのオリジナル言語が2つあり、ボークモール(本の言語)とニューノルシック(新ノルウェー語)の両方を、両方とも国語として持っている。歴史的にはルーン文字の文化にアルファベットが流入して作られた言語があったのであるが、デンマークの属領時代に書き言葉はデンマーク語になりノルウェー語の書き言葉は消滅し、しかし話し言葉としては使われ続け、その後スェーデンとの連合王国体制に組み込まれた後にノルウェー語の話し言葉デンマーク語の書き言葉で表す言語が生まれ、これがリスクモール(国家語)と呼ばれ、ボークモールに発展した。現代のノルウェーではこのボークモールを使用する人々が多数派である。一方で、ノルウェー独自の書き言葉を持つことが不可欠であるとする考え方も当然あり、言語学者らが古ノルウェー語を採集して作り上げられた体系がランスモール(国語)として発生し、議会に承認され、ニューノルシックとなる。ボークモールは首都オスロを中心とする都市住民や官僚階級が支持し、ニューノルシックは古都ベルゲンを中心とした地方農民層が支持者である。

現在のノルウェーでは、ボークモールによる上演を行う「国民劇場」と、ニューノルシックによる上演を行う「ノルウェー劇場」が存在する。ニューノルシックはノルウェー民族の独自の文化を志向した言語であるが、ノルウェー民族の誇る世界的劇作家であるイプセンの作品はボークモールで書かれているので(翻訳無しには)上演出来ないといった事態になっている。民族のアイデンティティを志向しつつも後天的に人工的に作られた言語と、歴史に根ざしており使用者も多いが民族のアイデンティティという観点からは疑問の残る言語のねじれ現象と言えようか。

*1:元々原作を知ってるシェイクスピアとかだと、全く問題なく観てられるんですけどね〜。

*2:DKT自身のサイトでは喜劇小屋‘Comedy House’ (Commediehuus)と呼ばれている。

*3:というのも申し訳ないシビアな話であるが。