ボリス予習8/史実のボリス

あちこちでフェアウェルをもらっておきながら、まだこの辺でうろうろしているstarboardです。月曜日出発なんです。前に書いた情報を元に、プーシキンの再解釈やりたいんですが、これは旅先で書くことになるかもしれない。アップは帰ってからかも。とりあえず、その前段階としての史実まとめです*1。参考文献は、ネットの各種情報と、ボリス・ゴドノフと偽のドミトリー―「動乱」時代のロシア (歴史のフロンティア) (単行本)  栗生沢 猛生 (著)。

  • 「ボリスは皇子ドミトリを殺したのか?」というミステリ仕立てのお題は、この本においては単なるプロローグであり、『ボリスが皇子殺しの罪に耐えかねて苦悩する姿は、ロマン主義の時代にふさわしいものではあるが、事実ではなかったようにみえる。ボリスの真の悩みは別のところにあったのである。』と締めくくられ、以後、動乱時代の歴史を丹念に記述するという流れになっている。
  • ドミトリ殺しの検証についてはボリスはシロという結論であり、その決定打となっているのは、暗殺説に説得力が無さ過ぎるというポイント。たしかにドミトリの死は事故にしてはあまりにも不自然な、癲癇の発作を起こして自ら喉にナイフを刺したという、事故に偽装するならいくらなんでももうちょっと考えるよねって顛末なのだが、それ以上に暗殺主張サイドが支離滅裂。このように事故の顛末が不自然な内容であったこと、ドミトリの死の結果利益を受ける者がボリスであったという状況証拠から、ボリス暗殺説が尤もらしく普及したものと考えられる。
  • さて、我らが主人公ボリスの生涯を簡単に。タタール*2出身の下級貴族の子として生まれたボリス・ゴドゥノフは、叔父の引きでモスクワに出てイワン雷帝の元で働く。雷帝の強硬政策を支えた寵臣の娘との結婚によって中央権力への参加資格を得る。さらに妹が雷帝の皇子フョードルと結婚することで皇帝の姻戚となる。この時点で雷帝の息子は、皇太子イワン、ボリスの義弟となったフョードル、そしてドミトリの3人。フョードルは順位的には2番目で知能に問題があったため注目されていなかったが、兄である皇太子イワンの突然の死によって予定外に帝位に就くことになる。当然政治能力がないので摂政団が置かれるわけだが、ここでフョードルの義兄ボリスが摂政団の一員となり、持ち前の慎重さと有能さを発揮して以後の政局と貴族の反発を巧みに乗り切って「ツァーリの義兄にして為政者」となる。この時代のボリスの実績は以下の通り。
    • 雷帝以来の課題であり、長年の国土疲弊の要因であったクリミア・タタールとの戦いを決着させた。モスクワは勝利に湧き、ボリスを称えた。
    • シベリアへの領土拡大。
    • ポーランド、対スェーデンとの外交において、目立った勝利があったわけではないが、度々の脅威に対して、国益を損なうことなく安定した関係を維持した。
    • 要は、軍事と外交によって疲弊していた国土に安定を提供し、宗教上の大きな誇りをもたらしたというのがボリスの外政面の評価であった。
    • 内政面では、時代背景を考えると、非常に現代的な理性的な政治を行った。汚職収賄の追及、裁判や税制の整備、証拠無しの処罰の禁止、都市政策などを展開した。
    • これだけなら、現代の目で見て極めて理想的な為政者のように見えるが、農民層への対応はそうではなかった。農民層の移動の自由を保障する「ユーリーの日*3」を廃止し農奴制の始まりとなったのはボリスの時代と言われ、長らく評判が悪かった。農奴制の進行はボリス時代に限ったものでは無く、この前後ともにロシア史全体で進行したものであるが、ボリス政権もその方向性から大きく外れたわけではなかった。
    • なお、ドミトリ変死事件が発生したのは、この摂政時代である。
  • さてこのような実績を挙げたボリスだが、傀儡皇帝のフョードルが亡くなると、皇位継承者がいなかったために、皇妃でボリスの妹のイリヤが暫定的に帝位に就く。この直後彼女とボリスが共に修道院に篭ってしまうエピソードは史実、フィクションともに共通である。民衆によるボリスへの就任懇願も、おそらくは動員も、実際にあった。
  • その約1ヶ月後に、数百名以上の聖職者、貴族、役人、軍人、商人や職人などが参加する全国会議が開かれ、ボリスがツァーリとして選出された。つまり、ボリスは、当時としては画期的なことに、血族主義の例外であり、自らの実力で頭角を現し、実績を残し、幅広い層の支持を得て、民主的な手段で選出されたリーダーであった*4
  • 即位後のボリスは、摂政時代の政治を踏襲しつつ、成り上がり者の彼に反発する貴族層に対してより慎重になった。彼は血族主義の例外であり出生による帝位への正統性を持たなかったゆえに別の方法でそれを示さねばならず、世論に気を配り立ち回らなければならなかった。
  • 問題は彼が即位して3年目からはじまり3年間続いたロシア史上最大の飢饉である。ボリス政権は穀物価格のコントロールや買占めの禁止、貧窮者への国庫からの施しを行ったが、飢饉の規模が大き過ぎて焼け石に水だった。
  • 偽ドミトリのロシア侵攻は、大飢饉の直後であった。戦況としては偽ドミトリは決して優位にあったとは言えず、彼自身は撤退を望んだが協力者である町民らの強制によって撤退出来なかったというエピソードが残っているほどであったが、最中にボリスが死去したことが決め手となった。政権内の貴族の偽ドミトリへの寝返りが相次ぎ、政権は内側から崩壊した。
  • ボリスの政治は、摂政団として14年+在位して6年の20年余りに及んだが、在位中は大飢饉の時代として記憶に残ることとなった。
  • そして本ではこう締め括られている。『ボリスの悩み、そして悲劇は、すでに死亡した皇子ドミトリー・イヴァノヴィチの亡霊にあるのではなく、かれが力の限りをつくして立案し、実行に移しながら、それをまったく受け付けることがなかった、ロシアの厳しい現実にこそあったといわなければならない。』
  • 実はこの後にも僭称者登場以後の歴史を語る章があるが、そこは割愛して*5、以下、本とは関係ない私見を。
    • 民衆の支持なんですが、以前にも書いた通り、彼らには、飢饉が起きたのは本来帝位に就くべきでない者が就いたからであり、僭称者が現れた途端にボリスが死んだのは僭称者の正当性を現しているように見えてしまうわけです。そして、「良きツァーリ」信仰*6に従って、正しい皇帝の血を求めてしまうわけです。ここが現代的な感覚からすると、非常に歯痒いところです。
    • 一方で、そういった心理を利用して、僭称を承知でそれを利用する貴族層もいるわけですが。現実ですね。
    • ボリスという人は、当時としては画期的に現実的な指導者としての器を有していて実際それを実行出来る状況に恵まれたわけですが、なにしろ間が悪かった。また、ここで強調すべきは、こういった近代的な指導者(政治の内容も、選任過程も)が実現しながら、そこから遠ざかってしまう時代背景ですね。偽ドミトリのロシア入り以後の動きを見ると、そこで起こったことは彼の働きの結果ではなく、相手が自発的に彼に協力するという流れであり、起きたことだけ見ると、民衆が真に望んだのは偽ドミトリであると言っても差し支えないほどなのです。
  • 最後に、もう一度本の表現を借りてまとめましょう。『ボリスは自己の権力の安定化をはかる一方で、貴族や士族層、勤務人、ポサード民から農奴農民にいたる住民各層を念頭において、自ら統治にあたり、その意味では、当時のロシアでは例外的に「統治者」の名にふさわしい人物であった。それは王朝的背景のない彼が、できるだけ伝統的な支配体制を継承しながら、いわば人一倍「世論」を気にして統治しなければならないと考えた結果であった。そして彼にはそれをなしうる才覚があった。しかるに、大飢饉に象徴されるロシアを取り巻く厳しい現実が彼の意図の実現を阻んだ。(引用者による語尾改変有)』

*1:本当はプーシキン解釈のプロローグに一段落でさらっと書こうと思ったけど、あまりに長くなったので一エントリに独立させました。

*2:モンゴル、中央アジア、北東アジアあたりの諸民族の総称。ロシアでは周縁ですな。

*3:形式的には、農民層が移動して良い期間を、農作業に影響の出ない季節に限定する制度。

*4:もちろんその陰には上記のような動員や宗教的指導者のバックアップがあったが、これは現代の民主主義でも同様である。

*5:オペラにも登場するワルラームの嘆願書とか、面白いネタもあるのですが、そこは今回のストーリーとは関係ないので。

*6:というものがあるそうです。ツァーリは神より権力を授かる存在で、悪政は貴族や側近がツァーリの良き意図を妨害した結果か、帝位にあるのが偽りのツァーリであるかのいずれかと考えるそうです。