ねじの回転/本当に怖いのは・・・

コメントへのお返事を書いてたら長くなったので、エントリを起こしてみました。

http://d.hatena.ne.jp/starboard/20111015
「ねじの回転」で検索して、うっかり下の文章を読んでしまったら、めちゃ怖かった。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~BIJIN-8/fsyohyo/turnscrm.html
ねじの回転こええ。つーか、この状況、めちゃ堪える。身に迫ってくる。この状況は、自分の人生そのものじゃないかと思う。こんなテーマを観てたら、耐え切れなくなって、立ち上がって奇声を発しながら会場を飛び出してしまうんじゃなかろうかと思う。きっと音楽もそういう系統のが付いてるに違いない。もう想像出来る。私の脳内で既に「ねじの回転」の音楽が決まってしまった。

へへへ、この手の怖さなら同じブリテンの「ヴェニスに死す」も同じですぜダンナ。最初から最後までアッシェンバッハの視点・妄想で終始するストーカーオペラ。
「ねじの回転」は"後年、精神病院になった屋敷で患者となった中年のフローラが語る"枠組みのドラマがありました。

ブリテンは『ヴェニスに死す』もオペラ化してるんですね。マンは子供時代の愛読作家なのですが、ヴェニスは、トニオ・クレーゲルの同時収録作品@新潮文庫という印象しかなくて記憶も朧だったりします。いま読んだら結構クるような予感がします。老いを扱った作品て、成長して自分にその兆候が出てから、はじめて、ああこういうことだったのかあ・・・とじわじわ来たりします。ピチピチのお子様には分からんテーマですよね。ちなみに私は若い人に中年期の寂しさを説明するときに、『アルジャーノンに花束を』を引き合いに出したりします。

ところで『ヴェニスに死す』が妄想だったら怖いかというと、実は全然怖くなかったり。関係妄想、特に性的な関係の始まりかけのそれは、誰もが一度は通る道でありがちだからかも?「自分は好かれているのか?気のせいではないのか?自分の気持ちのせいで、誰にでも同じようにする行為が特別に見えるだけではないのか?そもそも、この気持ちは本物なのか?・・・(以下延々)」←こういうのは童貞文学のメインテーマでもあるし。最近ストーカー作品も目新しくないし、ストーカーものとしての怖さは、やっぱり監禁とか、誰も助けに来ない!危機一髪!的状況にならないと*1。そういう意味ではヴェニスは弱いので、あれを妄想読替して怖いとしたら「キモーい!なにあれ?キャハハ」的なアレですが、ミットモナくてコッパズカしくて穴掘って埋まってきます級に恥ずかしいけど、怖くはないです*2

それより怖いのは、長年寄り添って心を交わしていたつもりの相手が、日々我慢して一緒にいるだけだと判明したりとか、そういう「ある筈のもの、あって当然だと思っていたもの」が無くなるパターンですね。『ねじの回転』でも、自分の見聞きするものが他人と共有出来ない恐怖、見聞きするもののうち何を信じて何を切り捨ててよいか分からない恐怖が、私としては一番怖いです。自分は統合失調症なのではないかという恐怖ですね*3。オペラでは幽霊は死人の姿でしか出没しないのでまだ対処の仕様はありそうですが、これが、幽霊が子供達やグロース夫人の姿をとって出没し始めたら、どうしていいか分かりませんね。何が本当で何が偽か分からなくなります。私があらすじ読んで想像したのはそういう種類の恐怖でした。

幽霊は幽霊だからまだマシな気がするのですが、ガリレオの時代のガリレオは、その時代の人から見たら統合失調症そのものだったろうなあと思うと、何が本当か分からなくなります。ガリレオにとって本当に困ったろうと思うのは、ある程度のところまではガリレオは優秀な科学者で、周囲もそう扱っていたと思うんです。本人にしたら、これまでの延長でもっといい仕事をしたと思っていて、でも周囲から見たら、あるときを境に狂ったんです。それが怖いんです。何かに気付いてしまった人も、そういう風に見えるかもしれません。有名な文学者なんかは、多かれ少なかれこういう状況を体験しているんじゃないかと私は思います。

*1:その先を突き進むとエロ小説になるので注意 ← 一体何のブログなんだウチは。

*2:これは原作からのイメージなので、オペラの方は体験出来る日を楽しみにしとくことにします。

*3:現代人はこの言葉で説明出来るから楽でいいなあ。